「あれ?マリア。読書かい?」
大神が書庫の扉を開けた途端に、涼しい風に混じって本の匂いと懐かしいとも言える香りがした。
この場所に来ると必ずこの香りがして、その香りの主が何かしら調べものをしている。
大神が初めて帝劇に来た時から当たり前のようになっていたから、その主が紐育に行っていると解っていても、何となく扉を開けるとその香りがするような気がして、そう声をかけてしまっていた。
今回も言ってしまってから、しまったという表情をして辺りを見回す。今までは運良く誰も書庫で会わなかったから大丈夫だったものの、こういう事を知られては何かと問題が起こってしまう。
そんなきょろきょろしてる様子が見えていたのか、笑い声が聞こえてきた。その声の方向を見てみると、帝劇に戻ってきてから何度も探していた人物が、おかしそうに口元を押さえながらこちらを見ている。
「どうなさったんですか?」
呼ばれたので、返事をしようとばかりに振り向いたのだという表情の彼女に、しばらく返事をせずにその相手の顔を見つめてしまう。何度も何度も探していたのに、見つからなかった大神の大切な人。
昨日三ヶ月に渡った出張から戻った足で、すぐに黒鬼会と言われる組織との戦闘に合流して戦闘の終わった途端に緊張感がきれたのか、米田長官とあたらしい副司令に挨拶をすることも出来ずに、カンナに抱えられ自室に引きこもる羽目になってしまっていた。勿論、大神と言葉を交わす余裕など彼女には残っていなかった。
そんなマリアの姿をみた大神としては心配だったのだが、今日は日の光のせいか昨日よりは彼女の顔色もよく、ほっとするのと同時に今更ながら彼女が帰ってきたことを実感できる。
「ああ。身体の方は大丈夫かい?」
「はい。先ほど支配人と…かえでさんにご挨拶をしてきました」
小さく頷いて近くまで寄ってきたマリアの手を引き抱き寄せた。慌てて引き離そうとする動きを封じ込める。最後に抱きしめた一年以上前の記憶の中の彼女より大分細くなったような気がする。
彼女のことだから、自分でなんでも背負い込んでしまったのだろう。勿論花組のみんなもいろいろやってくれているだろう。それはこの彼女がいない三ヶ月でよくわかっている。
しかしあやめさんが抜けた穴は、そう簡単に埋まるものではない。結局大体の仕事が解る彼女がかなりの負担を抱え、奔走していたであろう事は簡単に想像がつく。
「無理はしていないつもりなんですけれど…」
マリアの言い訳の声はどんどん小さくなって、最後の方には至近距離にいるはずの大神にすら聞こえないほどになってしまう。
抱きしめる腕がきつくて小さくなったのかと思い少し力を緩めるが、どうもそう言うことではなくて、意識をしていないだけで考えてみればそれなりに無理をしていることに思い当たったらしい。
申し訳なさそうな表情でいるマリアが可愛くて、少しだけ強く言ってみる。いつもなら何でもないと言い切ってしまうけれど、今日なら少しはおとなしくしてくれるかも知れない。腕の中から解放して、目の前の椅子に座らせる。
「なら、今日はおとなしく部屋で休んでいてくれるね」
視線をあわせながら、大神がそうマリアに言い含めるようにいうと、マリアの瞳がほんのかすかに拒否の色を見せる。
部屋にいると言うことは、一人でいること。
花小路伯爵と一緒だったとはいえ、数年間仲間達と一緒にいる生活になれてしまってるマリアにとって、この三ヶ月は一人でいることと同じだった。
せっかくみんなのいる帝劇に戻ってきたのに、一人でいたくないと言うのがマリアにあって、思わず大神に訴えかける様に視線を向ける。
「あ、あの…大神さん」
その呼び方に大神もちょっと改まった表情をする。彼女が自分の名前を呼ぶときは、どちらかというと、特別なとき、甘えたいときに無意識に呼び方を変えているのを知ってるから。
「どうしたの?マリア」
頭に手を伸ばして優しく撫でながら、もう一度マリアの身体をゆっくりと引き寄せる。今度はおとなしくされるがままで、大神の肩口に頭をのせる。
「あ、あのですね。今日はおとなしく部屋にいますから、側にいて貰えませんか?聞いて頂きたい話があるんです」
そこまで言いきって、その後は小さな声で土産物があるだとかいろいろな言い訳を口にする。こう言うときにでも、自分一人が大神を独占することを我が儘だといって素直に言えない彼女が愛しく思えて快諾した。
「いいよ。まだ読んでなさそうな新しい本を、退屈しのぎに持っていってあげるから」
そう大神の方で大義名分を作り上げて、マリアを書庫から送り出す。
すぐに響いた扉の開閉の音を確認してから、言い訳に使った新しい本を選び始めた。
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