頭の中がスカスカ。厳しいと噂の平面構想はやはりきつかった。却下されてトイレで泣いたりとか(苦笑) これは作品ではなく、作業の半端な結果でしかない。そんな風にいじけてしまったりもした。
私には足りないものが多すぎる。わかっていたつもりだったけれど、本当に欠けているものばかり。たくさん吸収しなければ、自分を出すこと、表すことなんかできやしない。
居眠りして乗り過ごしそうになったものの、何とか帰ってきました。手を止めて意見してもらったり、遅くまで話をしてもらったり。周りの人たちの存在に助けられていること、強く感じました。ありがとう。
何事もなかったように話しかけてくれて、驚いた。私はもう駄目だと決めつけていたから、嬉しかった。もしかしたら、あなたは気にしていなかったのかもしれないけれど。
冬にはうまく話せなくてごめんなさい。気まずくなってしまったこと、気にしていたんだ。お詫びも感謝も伝えられなかったけれど、話せて楽しかったよ、ありがとう。いつも、そうやって人に甘えているね。
大学関係で親しくしてもらっている人というと、7つ8つは年上の方が多い。しかめっ面がデフォルトの奴に話しかけ、ろくに受け答えできない話下手と付き合ってくださる程の寛容さを持っているとなると、やはり経験を重ねた人なのかなあと。未熟さを許容してもらっていること、深く感謝しています。
何を断言してしまったのだろうかと、後から独り頬を押さえた。何もわかってはいないくせにね。それでも、そうやって誰かのために動ける人の思いが、無駄になるはずがない。地に落ちるわけがない。そう思っている、信じている。
京都では屋内にばかりいたし、帰ってきたら急に涼しくなっているし、何だか知らない間に夏が終わってしまったような気分。また来年、あの陽を浴びよう。きっときっと。
昨日はアルバイトの後、週2回の稽古へ。激しい運動ではないけれど(でも力は要る)、身体を動かして気持ちがいいと感じられるのは嬉しい。体育のある日はお腹が痛くなる小学生だった私がねえ。弓を下ろして息を吐きながら、今集中していたなと感じる時間が好きだ。
デフォルトのスタイルをGrayish Blueに。選択機能がどれだけ使われているのかは疑問だけど、誰か一人でも「これ、どうやっているんだろう?」と思ってくれたらOKかと。全然関係ないゲームのサイトだからこそ、そっち方面への足掛かりのようなものになれたらいいなと。まあ、地道な布教活動ということで。
狡いとわかっていて口にする私はもっと狡い。そしてその意識さえ免罪符にする。
人との距離をどう取ったらいいのか。相変わらず、そんなことに囚われている。邪魔にならないだろうか、変に思われないだろうか。躊躇してあれこれ捏ね回すのはいつものこと。疎まれるのではないか、拒まれるのではないか。うだうだと思い悩んでいると、付き合うこと自体が億劫になってしまう。
動かなければ、気づかれなければ、知らなかったと同じにできる。気まずい思いをするくらいなら、傷つけ合うかもしれないのなら、何もしないほうがいい。疎遠になっても、忘れられても、それは自分から壊してしまう痛みより、ずっと軽いことではないか。
開きかけた唇と、踏み出しかけた足、中途半端に伸ばした腕を切り落とす。そして今日も、私は無限の可能性から眼を逸らす。
わかっているのに。そんな言い訳繰り返したところで、見えているのに動かないのは怠慢。その意識さえ口実。
変わっていない。何も変われていない。自分のことしか考えられないから、保身にまず囚われてしまう。行動を起こす前に潰してしまう。真実相手を思うのなら、拒まれたと感じることなどないはずなのに。恐れるのは相手ではなく、そうやって偽物ばかり宿す私の内側。
恐怖よりも吐き気を覚える。あれは無人のセットなどではないのだから。
スクーリングで留守にしていました。夏期はこれで終了。次はグループ展に向けた作品を急がなければ。
私は冷たい人間だから、見ず知らずの人の死を悲しいと感じることはできない。何を基準に許せないと怒るのか、そう自問しても答えることはできない。しかし、思うのです。犠牲を伴なわなければ為せないことがあるのだとしても、すべての人が幸福になれないのなら、それは真実ではないのだと。
無理に休ませてもらっていることもあるので、土産持参でアルバイトへ。今回は「秋限定おたべ」。乗せられているとわかっていても、せっかくだからと選んでしまう自分が何だか悲しい。
以前は餡が苦手で、和菓子はさっぱり口にしなかったのだけど、近頃は味覚が変わったらしい。饅頭も嫌いではなくなったし、緑茶との相性の良さには感激。お茶は昔から好き。濃く淹れたものを、浪漫堂の帝劇花組湯呑でたっぷりといただきます。
kotobaseekからリンクされていました。正統派……いい響きだ(笑) StrictなHTMLに拘るのは、結局好きだからなんですけどね。アクセシブルやバリアフリーといった面は後から知ったことで、まず文法オタクですから。
自己満足といえばそうだけど、結果として「気持ちよく閲覧できるページでありたい」という願いに通ずるのだから、私としては問題なし。すべて自分のために創るのですから。
夢を見ました。その口調が、少し辛くて、少し悲しくて、少し痛かった。強がったところで自分を騙せはしないから、後ろめたさが形になる。見透かされているようで苦笑する。ごめんなさい、またひとつ遠ざけてしまいました。
果ての見えないその高さに呆然とする。足元の一段さえ登ることをやめてしまう。そうやって空見上げて立ち尽くしていれば、何か降ってくるとでも思っているの? いいじゃないか、今は届かなくたって、一生届かなくたって。そう言い聞かせながら頬を拭う。
伝えたいからだと、そのために表したいのだと思っていた。でもその奥にあるのは、自分が理解したいからなのではないか。自分の感情を知るために創りたいのではないか。そう、今日になって見えた。
独自ドメイン取得の申し込みをしてきました。そこまですることもないか、と見送っていたのですが、今後どういった形であれWebでの公開を続けてゆくだろうと考えた時、やはり顔となるものが欲しいなと。あ、hisuikanではないですよ。
取り合えず押さえただけですが、近いうちにホスティングサービスを利用して、そちらに移転する予定です。また動くのは心苦しいのだけど、それ以降は余程のことがなければ大丈夫だし、なんて自分に言い訳してみたり。でも希望のドメインが残っていてよかった。一生物です。
日記書きの回答。「日記書きさんに100の質問」に答えてみました。取り合えず過去の日記と並べておきます。それにしても、無理に100問作らなくてもいい気がしますが。
代行業者からドメイン取得完了の通知が来たのですが、HTMLメールだったのでいきなり信頼度ダウン。企業がやるなよ。レジストラは、公開連絡窓口に業者の情報を載せてくれるところを選択。住所公開はさすがに抵抗がありますから。
好きなものに関連した日や、自身に大きな動きがあった日、忘れたくても忘れられない日……。そんな日は勝手に記念日にして、心に刻んでおきます。365日経っただけといえばそうなのだけど、同じ日付けを見れば思い出の欠片が滲んできます。
その気持ち抱き締めれば、もっと好きになれるから。また一年、この思いと共にありたいと思えるから。偶には悪くないよね。苦みや痛みを覚えたりもするけれど、大切にしたい日があること、幸せだよね。
健康診断を受けたら、昨年より身長が1センチ伸びていました。なぜにまだ伸びるかな。これ以上いらないって。
IBMから覚えのない荷物が届いてみれば、何とThinkPadオリジナル折り畳み傘。そう言えばアンケートに答えたんでしたっけ。まさか当たるとは。黒でシックながらも、先端がぽちっと赤く出ていてラブリーです。
その事実が、あなたにとってかけがえのない、大切な大切な事実が、こんなにも辛いなんて思わなかった。
そろそろ書いてしまってもいいだろうか。現在そういう心境にあるわけではなく、比較的落ち着いているから振り返ってみるのです。不安定な時にやると、膨れ上がって飲み込まれるのは学習済み。そんなわけで目立ちにくくなる月末に、また書いてみたりするのです。
楽しい話では決してないのでご注意ください。少し重い話のため、落ち込んでいる人は読まないほうがいいかと思います。
自分の心の醜さに斬りつけられる時、逃避願望に支配されます。この場所から消えて、なかったことにするのではない。こんな自分から永遠に逃れられる終わりが欲しい。そう願う時があります。しかし、一番確実で手っ取り早い方法がわかっていても、それとまっすぐに向き合うことは避けてきました。
もし口に出してしまえば、その言の響きに支配されてしまう。取り返しがつかなくなってしまう。その恐怖はある意味、安心でもありました。どんなに無様で卑怯であっても、失うことには耐えられないから。私にその選択肢を選べる日など、来るはずがなかったのです。
視界が白く霞んでいました。自分の本質を見た日でした。不毛な繰り返しを断つにはそれしかないのだと、私に残された唯一の方法なのだと、そう強く感じました。そして、私は声にしてしまったのです。臆病さゆえであるとはいえ思い留まってきた一言を、私は発してしまったのです。
肯定したからといって、何ができたわけでもない。剃刀ひとつ握れはしなかった。嵐が過ぎれば思い直しもした。しかし、言葉にしてしまった事実は消えません。自身を追い詰め底まで落ちても、それ以上落ちることはできなかったのに、その安心を私は喪失したのです。
これから先、その一言を切り札に自分や誰かを脅してしまうのではないか。再び願った時には実行してしまうのではないか。現在、その感情に囚われているのではありません。これを書くこと自体、脅迫なのかもしれません。しかし、肯定してしまった事実が、戻ることのできない逃げ道を作ってしまった事実が、私は恐ろしいのです。