Endless Recorder

2001年1月

1月4日 新年

大衆的なお祝い事というのは少し馴染めないものもあるのだけど、気の引き締まるこの感覚は嫌いではなかったりします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

相変わらずの能率の悪さを嘆いています。この三箇日、正月らしいことといえば年賀状の返事書きくらいしかしなかったような。帝都行きの準備をようやくこれから。明日から8日までオフラインとなりますのでご了承ください。


1月5日 この私に何ができた?

現在のトップ謎文は、一昨年の12月にこっそり掲載したものの改訂版です。本当に伝えたかったのは、押しつけがましい自己主張ではなく、あなたのためと搾り出した厳しい言葉でもなく、まして繋ぎ止めておくための泣き言であるはずがなく。……ごめんね、傍にいられなくて。

さて、これを更新したら出撃です。夏とは毛色が違うのかもしれないけど、やっぱり歌謡ショウにはわくわく。純粋に楽しみにしている自分がいることもまた、嬉しかったりもするのです。


1月9日 幕が閉じれば

新春歌謡ショウ、すごくすごく楽しかったです。お馴染みの面々の掛け合いにお腹が捩れ、サクラソングを生でたっぷり聴くことができる贅沢に眩暈が。

念願の千秋楽鑑賞も叶いました。全部で3回観たこともあって、その良さがよくわかり大満足。拍手だけでなく今回とうとう声を出すようになってしまった私は、少年レッドのラストも、織姫くんのあれも思いっきり叫んでいました。あー、気持ちよかった。

Webでお世話になっている方、憧れていた方とお会いできたのも得難い経験でした。それは同時に、自身の会話能力のなさを改めて痛感することでもあったのですが。話しかけていただいても、満足に受け答えできない奴でごめんなさいです。でも本人、とても喜んでいますので、どうかお気を悪くされないようお願いいたします。どうもありがとうございました。


現実離れした3日間半でした。PCもTVも新聞も一切触れず、ただ歌謡ショウを観ることと、人に会うためだけに動いていました。家も大学もバイトも一切忘れ、ただ私の中の「天城」だけが存在していました。そうだね、夢みたいだった。でも覚束ない足取りでホテルに戻って、鏡の中の自分と向き合った時から、その夢は収束してゆきました。

帰りたくなかった。このままどこかへ行ってしまおうか、何度もそう思いました。急いで荷造りしたバッグの重さ、自動清算機から吐き出されたホテルの領収書、運賃表で探す東京駅、新幹線の大きなチケット、電光掲示板を流れるニュース、車窓から見えた茶畑や田地、電話越しに聴いた母親の声、すっぽかしてしまった成人式帰りの振り袖姿、聞き慣れたバスアナウンス、薄汚れたマンションの壁……。どんどん侵食されてゆくようで、寂しくて、痛かった。

そしてバッグの一番底にしまっておいた玄関の鍵を取り出してカチリと回したら、そこでジ・エンド。小さく帰宅を告げ、コートのボタンを外しながらPCのスイッチを入れる、いつもの私がいました。

いやに感傷的になっているなあ。遊んだ分だけ真面目にやらなければいけないことはわかっている。日々の積み重ねが、楽しい時間を作り出すことはわかっている。夏もきっとまた行くんだ。今日から再び、そう思うことで頑張ってもいいよね?


1月12日 無意味な反抗

上京中、どこかへ置き忘れていた食欲と睡眠欲が、一気にぶり返しています。いいことではあるのだろうけど、それにさえ寂しさを感じてしまうなんてね。感傷なんてお構いなしに繰り返される日常に、「意地張って食べないでいてやろうか」そんな反抗の意志も流されてゆきます。


歯止めが利かないというか、自制心が飛んでいるというか。

あの時と同じ場所に立って、情けなさを悔やみながら浮かんだ思いつき。そんなどうしようもないことだけは、考えなしに実行してしまうこの幼稚さよ。今日の私もどうかしている。あなたには決して言えない自己満足。空き腹にブラックコーヒーを流し込み、その苦味と痛みに酔うこの愚かさよ。断固として避けなければならない状況を、どこかで望んでいる矛盾はなぜ?

こんな自分には疲れてしまうよ。結局自分のことしか考えられない私が、それを自分に誤魔化そうとしているんだね。

解いた髪が吹き上げられる。見慣れぬ景色に別れを告げる。ドアが閉まるその瞬間まで、次の人影があなたであることを願いながら泣いていた、この身勝手さを笑ってよ。


1月13日 謝罪

「ごめんなさい」

それは口癖のようになってしまっているけれど、ただ闇雲に繰り返したいわけなんてないんだ。口にするたびに薄っぺらになってゆく気がするけれど、口にしたことにさえ謝罪を重ねたくなるけれど、それでも繰り返さずにはいられないんだ。

もっと他に伝えなければならないことは山とあるのに、焦りと歯痒さに頭の中がスパークする。呆れられても、よく思われなくても、空回りする思考はその言葉しか生み出さない。

ごめんなさい。本当にそれしか喋られなくなりそうだよ。唱えるたびに赦されなくなりそうだよ。


1月14日 ついていけないかも

歌謡ショウでも聴いた「ユーロゲキテイ」を購入。私は太正浪漫云々言いたがる保守的な立場だけど、まあそれは置いておいて。「公平先生、反対していたのに」とか「……パラパラって何?」とかも置いておいて、とにかく触れてみての感想。

歌曲全般に言えることだけど、聴くにしろ歌うにしろ、抑揚に気持ちよさを覚えているらしく、ついつい小節を利かせたくなってしまうんですけど。でもそうすると、オリジナルと変わらないような。(逆にゲキテイ音頭の後は、抑揚つけすぎて戻れなくなったりしたけど)

うーん、根本的にユーロビートを解せないようです(いや、定義自体わかってないな)。格好いいとは思うんだけどね。そういえば間奏で「それが帝国華撃団なのです!」って、ちゃんと言っていたんだ。


あ、カウンタ9000回ってましたね。ご来訪ありがとうございます。1万の時はリクエスト受けつけようかな。……1年は待ってもらうことになりそうだけど。


1月16日 近づくほどにボロが出る

自分がこんなにも聞き分けのない子供だとは思わなかった。自分にさえ虚勢を張っている私の自業自得。あなたの前で気取る必要なんてなくても、いや、あなたの前だったからだとしても、不甲斐なさと羞恥に叫声を上げる。

でもそれ以上にみっともないのは、きっと見透かされていた私の狡さ。あなたが感じたよりもずっと、卑怯で醜いことばかり考えていた。どうかしていたなんて言い訳で、きっとあれが本来の私。知られれば知られるほど幻滅されそうで怖いよ。今だってほら、そうやって自分の体裁ばかり気にしている。


1月18日 幸せの形

浮かんだ疑問は、回答も、その際の表情も、何となくわかってしまったから訊かないでおきます。


毎度のことではあるのだけど、安定性を欠いています。独り言が異常に多く、無性に掻き乱される。……何に? まあ、こんな風にぐちぐち言っていられるうちは大丈夫ってことなんだろうけど。しばらくすればけろっとしているんだろうね、私って奴は。

心から安心できる、穏やかで優しい気持ちに満たされる時があるのに、それを疑心と貪欲さで打ち消しては、そんな自分に苛まされる。この思考回路は救い様がない。

自分がどうしたいのかもわからなくなってしまう。短絡で即物的な願望なんて、たとえ叶ったところで後悔するのはわかっているのに、それでもまとわりつくこの寂しさは何なんだろうね。


1月19日 言い訳

今日こそは書こう、今日こそは書こう、そう思いながら10日も延ばしてしまったメールを、昨日やっと送信しました。本当は2ヶ月前から出さなければならなかったのに。

書けない事情があったわけではないのです。PCの調子はいつも通りだったし、体調も悪くなかったし、どうしようもなく切羽詰まった用事があったわけでもないし、ましてあなたに非があったはずがないのです。

でも、書けなかった。……ごめんなさい、自分でもわからないのです。ただ私には、何の、少なくとも自分で認識できる理由もなしに、動けなくなってしまう時があるということしかわからないのです。

ごめんなさい、やっぱり言い訳にしかならない。でも、決して拒絶の心を持っていたわけではない。あまりに身勝手だけど、それは信じてほしいのです。一緒に出かけること、とても楽しみにしています。晴れたらいいな。暖かい日だったらいいな。あなたが笑ってくれたらいいな。


1月20日 終わりよければ?

大らかな人にはそれだけで救われる。同時に、それは強い憧れでもあるのだけれど。いつもカリカリしていたって、いいことなんてないものね。ありがとう。


SBSでもTVサクラ最終回。まるで納得できない展開でも高揚感を覚えさせてしまうなんて、うまいというか狡いというか。どんな戦闘でも格好よくしてしまう「決戦・帝国華撃団」と、これにだけは無条件降伏の「花咲く乙女」を聴いて大団円を演出されてしまったら、何だか優れた作品に見えてしまうのですが。

いや、決して駄作だとは思わないよ。突っ込み甲斐がありすぎるもの。本当に呆れたのなら捨てるだけだからね。ただ、もっと一貫性を持たせてほしかった。別のサクラを目指したのなら、それをきっちりと描き切ってほしかった。迎合と感じてしまうリメイク第九話は、やっぱり私には受け入れ難い。


1月24日 セガ関連の報道

DC生産中止の方は、すぐに否定のコメントが出されたようですが。以前から、セガはソフトメーカーとしてやっていくべきだと思っている口としては、特にショックではなかったり。サクラファンとしては、個々のソフトのゲーム性が活かされるならハードには拘らない。

この話に限ったことではないけれど、懸念するのはサクラを取り巻く状況。もう、入さんもいないし。企業にしてみれば、一ゲームタイトルに過ぎないことはわかっているんだけど。

今はただ、製作スタッフの意向を営利目的のみで阻害する環境がなければ……敢えて言うのなら、すべての幕を引こうとした時にだらだらと食い物にするようなことさえなければ、それでいいと思っている。


1月25日 現実逃避

忙しない日常なんて捨ててしまって、ただひたすら感傷に浸っていたい。そんな風に思う時があります。寂しさと、痛みと、後ろめたい喜びに溺れていたい。独り焦がれ続け、そのまま灰と消えてしまえばいい。

それは閉ざされた世界の、何も生み出しはしない自慰行為。それは病んだ心を、さらに窶れさせるだけの自滅行為。目指したものとはまるで逆を願う私は、やっぱり矛盾しているよ。


最近、WWWCでのカウントが異常に増えていたので弾くようにしました。今まではほとんどなかったので放っておいたのですが、ロボットが巡回してきただけでカウントしてしまうのは、どうにも気持ちがよくないので。

動作確認のために久々にPerlを使う。そもそもプログラミングがやりたくてインストールしたわけではなく、Another HTML-lint(HTML文法チェック)と、掲示板のカスタマイズ(表示部分だけ)のためだったので、すっかりHDの肥やしとしてしまっているなあ。


1月26日 A.T.という名を知るあなたへ

擦れ違っている。誤解されている。私が伝えたかったのはそんなことではない。そう気づいてもそれ以上声をかけなかったのは、何を言っても負担になると思ったから。もう、よく思われていないであろう私が関わるだけで、あなたの重荷になると思ったから。

でも本当は恐れているんだ。どんなに言葉を重ねても拒絶される可能性を。閉ざされた心に突き当たり自分が傷つくことを。私は繰り返すのか? 保身のために救いたい相手を見限るのか? その選択にさえ、後悔することはわかっているというのに。

あなたの言葉を信じている。元気になって帰ってきてくれることを待っている。……ごめんなさい、それしかできない。何なら言ってもいいのかわからない。何を言いたいのかもわからない。でも、それでも私は、あなたを見ている。


1月27日 寂しい考え方といえばそうだけど

多くの人たちがサクラの続編を案じているのに、終わりの時を口にする私は冷めているのかな。醒めない夢なんてない。でも、その一時の幻でさえも、所詮は商業主義の上に成り立つ夢か。それを汚れていると言い切れるほど純粋ではないけれど、納得できるほど捌けてもいない。

怖いのはサクラが消えることではなく、サクラがサクラでなくなること。セガはなくならないよ。そしてセガは商品であるサクラを捨てられない……利益が見込めるうちはね。だからこそ怖い。でも、それ以上に恐ろしいのは売り渡されること。もしも某M社に渡ったらと考えると震えるよ(しかし、あるとすればここなんだろうな)


昨日の日記は昨年7月の続き。相手も、自分も、傷つけずに済む強さなんて、この私に得られるのでしょうか?

これは大切な本から教えられたことなのだけど、拒絶されるというのは何かを求めているからなのです。見返りを望まず動いたのなら、拒まれたと感じることも、傷ついたと嘆くことも、ありはしないのです。


1月29日 アクセシビリティ

できるだけ多くの人に見てほしい。それは少し違うのかも。サイトに来てくれた人が、私の創ったものを見たいと思ってくれた人が、気持ちよく閲覧できるページでありたい。今の私にとってアクセシビリティの向上を目指す理由は、そういうことなのではないかと思う。

当然のことながら皆が皆、高スペックPCで最新ブラウザにプラグイン完備して見ているわけではない。そしてWebは健常者だけのものではない。低速モデムでも、画像非表示でも、JavaScriptオフ設定でも、プラグインなしでも、音声・点字UAだったとしても、できるだけ不便を感じさせずに、ストレスなく、その人の望む方法で見てほしい。まして拒絶なんてしたくない。そのための気配り。

だって、せっかく来てくれた人との出会い(直接のやり取りはなくてもね)を、そんなことで潰してしまうのはあまりに惜しいから。それは双方にとって不幸なことだから。

視覚的なものだけを求める傾向への抵抗や、Web全体の向上への願いも勿論あるのだけど、一番に思うのは自分の周りの小さなこと。でも、それは悪いことではないのではないか。そんな風にも思える。

……と、まあ理想だけ並べてみる。あー、一からソースを書き直したい。改善の余地がありすぎるのに放っておくのは、気持ちが悪くて堪らないよ。もっとも、個人サイトでどんな線引きをしようと管理者さんの自由だと思っているので、その辺りは誤解のないように。(そう言う割に難癖つけがちだけど<嫌な来訪者)


1月30日 展覧会のテーマはこれかな

イマジンの企画「音効特捜最前線」に投稿したメールが掲載されていました。ははは、居間にいたらTVがついていただけなんだけどね。

昨日の補足。アクセシブルであるということは、ダイナミックHTMLやFlash等、新しい技術を使わないということではないのです。要は代替手段をきちんと用意できているかということ。どうにも奇妙な神話や誤解があるらしい。勉強がてら、関連サイトへのリンク集でも作ろうかしら。


1月31日 切り売り

明日、明後日と鎌倉・横須賀へ出かけるのです。横須賀在住の友人に案内してもらって、美術館巡りメインの観光。三笠公園も行きます(嬉) 脚を運ぶのは初めて。生憎あまり天気がよくなさそうだし、寒さも仕方ないけれど、あなたと一緒だからわくわくします。


近頃、自分の思考回路というか、判断基準がさらに厄介になったようです。何か抵抗のある行動を迷った時に、「ネタになるから」とその際の心理を予想して理性を押し切り、どうしようもないことを実行しようとしてしまうのです。……自分でも呆れます。

ただ……繰り返してばかりだけど、それでも私の心は常に背反しているのです。特にこのことは認めたくなかったし、書くべきではないのかもしれないけれど、先月荒れてしまった時のこと。散々泣いて、叫んで、当たり散らしたその後に、ふと「これはどのSSに使えるだろう?」、そう感情の使い道を考えていることに気がついた時、そんな自分を憎悪しました。

感情の表現こそ自分のやりたいことだと言っているくせにね。その思いに変わりはありません。でもあの時私は確かに、今支配されている感情さえ利用しようとしている自分を、ひどく嫌らしいものに思えたのです。