大丈夫。私は、私にできることをすればいい。優しさの上に胡座をかいているような、そんな人にはなりたくないから。
最近、TVサクラの「歌のアルバム」をよく聴いています。現在のお気に入りは「夢見る機械」。紅蘭の持ち歌では一番好きかも。
それと「赤いカチューシャ」について少し。最初、タイトルを見た時は「赤(大正時代の童謡によく登場した単語)」+「カチューシャの唄(松井須磨子のヒット曲)」が浮かび、いかにも大正っぽいなあ、なんて思っていました。
でも、アニメの感想でロシア民謡だと聞いて「赤軍」+「ブランテル作曲のカチューシャ」か? そう考えたものの、実際に聴いてみても、カチューシャが何を指しているのかわからなかったり。うーん、イメージとしてなんだろうか? それとも女性名の愛称ってこと以外に、何かあるのだろうか?
ヒットメーカー(元セガの第三開発室)による「セガガガ」のページを見てきました。私はセガ信者というわけではないけれど、技術力は本気ですごいと思っています。サクラだって、システムとか操作性とか、ゲームとしての魅力はセガなくしてありえない。……まあ、だから子会社が作った関連ソフトは、肝心のそこがボロボロだったりするんだけど。
それはともかく、セガを立て直すというこのゲーム。ニュースサイトの記事を読んだ時は「そこまでやるか?」と呆れたんだけど、ページを見たり、ムービーをもらってきたりしたら……やば、やってみたいかも(苦笑)
ゲーム業界制圧! 悪のライバル会社! うくくくくっ、なんか素晴らしきバカゲーの香りが(褒めているんだよ) 人交(ヒトマジリ・笑)社長が指差すのはセガの星か? 優秀なクリエーター集めても、金使い込まれてしまったりするんだろうか(苦笑)
いやはや、大笑いさせてもらいましたが、ゲームバランスが気になるなあ。難易度高すぎたら現実味ありすぎてヤな感じだし、かといって簡単にシェア伸ばせるようでは、それはそれで悲しいし。一番問題なのは、業績伸ばして見事クリアできた時、非常に虚しくならないだろうかってこと。どうにも人の悪いことばかり考えています。
悪魔であろうと、天使であろうと、そんなことは関係なく
あなたが、他の誰でもないあなただから
だから、私はあなたに惹かれたのです
あやめ&マリア熱が再燃中。もう1回第九話のお話書きたいなあ。……そんな風に手をつけただけのネタがゴロゴロしています。
同日追記。
なんだか可笑しくて、嬉しくて、忍び笑いが止まらなかった。同じ時間を共有しながら、こんな奇妙な擦れ違い。捨てたものじゃないよね、この距離も。
この想いが聞き届けられることはありません。でもあたしは幸せでした。幸せな片恋をしていました。だって、あたしは大神さんが大好きで、その大神さんはあたしを大切にしてくれるんです。あたしを護ってくれるんです。こんな嬉しいことってありません。
いずれ、この恋は甘く切ない思い出となって、あたしは大人になるはずでした。……そう、あの時までは。
何やらまた書いています。先にマリア編の予定なんだけどね。実はマリアを書くのは苦手だったり。私のマリアって、格好よくならないんだもの。もっとストイックなはずなのに、どうにも俗っぽくなってしまう。
逆に書き易いというか、心理描写がぽんぽん出てくるのはダークサイド(おい)さくらくん。地でいけますからね(苦笑) ちなみにあの予告はSSの目次からも飛べます。
ただ、ネタ帳が埋まっても、それを一つの作品にまとめてゆくのはいつも難航。このままだとさくら編はろくにストーリー展開のない話になってしまう。最初から最後まで、嫉妬に囚われるさくらくんの独白……えらく閲覧意欲削がれるな、それは。
書き留めておくのは、失うことが怖いから。今この時、確かに感じた思いの証明を残さなければ、大切なものが消えてゆく。薄れる記憶さえも疑い出す。
永遠なんて信じない。この刹那に焼きつけた真実を護ってゆこう。明日の私が別人でも、今日の私は生き残る。
言い訳だね、これは。どこかで信じたがっているのに、同時にそれをひどく恐れている。戻れなくなるから。忘れてしまうのは怖いけど、忘れられなくなることもまた怖い。
あるいは、それに縋ってしまうことへの恐怖? 一度にすべてを手に入れてしまうなんて、私には許されない気がするけれど、確かめるように一時一時の思いを重ねてゆけば、永遠とすることができるだろうか? 私にとってその完成は、永遠を得られるのは、死ぬ時なのかもしれない。
ねえ私、気が済んだ? もうやめようよ。一体何を求めているの?
拒絶されないとわかっているからこそ、何を言うのも怖いだなんて。
こんな些細なことでぐちゃぐちゃになってしまう自分が情けない。何度でも裏切ることしかできない自分が許せない。もうこのことで悩まなくていいんだ。そう確信したし、手に入れた真実は踊りださんばかりに嬉しかった。本気で……本気でそう思ったんだよ!
仕事に出るのが苦痛でならない。胸の中は茨とスラッジだらけなのに、作り笑いを貼りつける自分にぞっとする。
自分のことはいい。どんなに情けなくても、不恰好でも、醜くても、自らの内から生まれた感情を否定はするまいと決めたのだから。でも、それが大切なものへ向かう刃となるのなら、私は自分を許せない。……矛盾している? ああ、そうだ。私の心はいつだって、背反する二つの思いに囚われている。
ここ数日で、大きな意識変化がありました。この日記のスタンスは変わらないし、サイト運営に影響を与えることでもないけれど、自分の中でまとめておく必要があったから書きます。文章が歪な上に、サクラとは関係のない話だし、読んで楽しいものでは決してなく、不快になられる可能性があります。ご注意ください。
ただ、ここで書くのは逃げなのです。勇気を持てなかった私の逃げ。この言い訳も卑怯に思えてなりません。すべては、私の甘えなのです。
きっかけは些細なことでした。いつもの疑心暗鬼が首を擡げ、いつものように苦笑しながら諌めれば、それで治まるはずでした。しかし、限りなく悪い方へ考える悪癖が暴走し、何をしても負担になるように思え、信頼さえもひどく身勝手なものに思え、身動きが取れない状態に陥りました。私は不変ではいられない。昨日の自分さえも信じられない。どうしたらいいのかわからないと泣き喚き、責任を転嫁しようとしている自分を嘆きました。
疲れて眠って目覚めた後は、自分に腹が立って仕方がありませんでした。どれだけ汚せば気が済むのか。何度繰り返せば理解できるのか。周囲にやたらと攻撃的な感情を持っては苛立ち、そんな自分をますます嫌悪する悪循環。大切な人を責めている自分が、嫌で嫌で堪りませんでした。それが本心なのではないかという恐怖を、必死になって否定しました。狭い井戸の中で狭い心を、小さく小さく切り刻んでいる自分を恨みました。
この想いを汚さない方法は、この苦痛から逃れる方法は、誰の視線も届かない場所へ消えること。それは、常に頭の中にあったのです。でも、それは決して選べない選択肢。逃げたくないとか、失望されたくないとか、そんな理由は二の次で、自分のことしか考えられない私は、失うことに耐えられないだけなのです。
心のどこかが醒めています。奇妙なまでに落ち着いています。今になってようやくわかりました。知りたくないことばかり知りました。結局私は、あなたの隣りで自立することも、あなたの前から消滅することもできず、罪悪感を抱えながら縋らなければ、優しさを裏切りながら求めなければ……生きてゆけないのです。
そんな虚脱感の中で、自分が求めていた位置、いたかった場所に、初めて気がつきました。でも、決してそこには立てないということも、同時にわかってしまいました。一番望む形では傍にいられず、ぶら下がることしかできないのに、それでも……それでも離れられない私は、甘えていたい自分の狡さに、この先刺され続けるのです。
お願いです。私のことを考えてくれるのなら、少しでも重荷に感じた時は、裏切ることしかできない私を、捨ててください。きっと見限られなければ強くなれない私を、どうか捨ててください。いいえ、いいえ、取り乱してはいません。否定の言葉が欲しいからでもありません。寂しい風が吹いているだけです。
ごめんなさい。これは私の卑怯な選択です。負担になることだけは嫌だと言いながら、困らせるだけの中途半端なこの告白は、強さを持てなければ、覚悟も決められない中途半端な私の、卑怯で弱くて身勝手な選択です。
あなたに寄りかかりすぎてしまった、この私の我が儘です。
ごめんなさい。私はあなたが怖いのです。
考えてもわからないことが、今わからなくていいことならば、今わかってしまったことは、その必要があったからだよね? 知りたくなかったなんて、気づかずにいれば幸せだったなんて、それは間違っているよね? ……そう思わなければやってゆけません。
駅前の量販店のバーゲン目当てに外出してきました。人波に気圧されそうになりながらも、今まで我慢していた冬物を物色。ロングコートと毛布を買ったら、帰りのバスで難儀しました。
さっき、購入以来忘れていた「アラビアのバラ入浴剤」を使ってみました。香りは勿論、落ち着いたピンクが綺麗で満足。こういう日はスキンケアを念入りにしたくなる。いつもは節約気味のローションパックを今、スキコンでたっぷりしています。小さなことだけど、贅沢な気分になれるのです。
3年くらい前、Macの上位機種におまけとしてついていた「The Making of サクラ大戦」というCD-ROMを今更ながら入手しました。夏に貰ってきたものの、誰も使っていないパフォーマ(勿体ないなあ)を起動して早速閲覧。
うーん、広井さんや永田太さんのインタビューはあったものの、MacのPRという色が濃いです。1の時、メカのCGがMacで製作されていたというのは初めて知ったので、それは収穫だったんだけど。
しかしこれ、ろくに監修されていないらしい。「さくら大戦
」はまだ許せるけど、「江戸時代が舞台
」はどう考えたってまずいでしょ? 霊子甲冑や魔操機兵のCGが見たいのなら、1の蒸気蓄音館CD-EXTRAのほうがいいなあ。「サクラの制作方法」「CG作成のノウハウ」といった文句に躍らされた感があります。
今、ここに存在できることへの感謝を、傍にいてくれたすべての人たちに。
ありがたいことではあるのだけど、昔からあまり病気をしません。(学校行きたくなくて仮病はよく使ったけど<コラ) 不規則極まりない生活、無茶苦茶な食習慣、明らかな運動不足……。そのくせ風邪ひとつ引かないなんて、何か間違っている気がします。
そのうちドカンとツケが回ってくるんじゃないかなあ。でも不摂生は全部、顔と背中のニキビに出ている気がしないでもないけど。
今でも2日に1個くらいは売れている(?)SSの圧縮ファイル。ここのところDCで試みようとするアクセスが多かったので、注意書きを追加しておきました。そういえば、DC用ZIPドライブの話はどうなったんだか。
タロットCG大詰め。メモリ32MBでフルカラーでレイヤー幾つも重ねて……。PCがひどい音立てていて、いつ止まるかと気が気じゃないんですけど(汗) うちに4台あるコンピュータの中で、マイパソちゃんは一番酷使されているのにメモリ最下位なのです。でも他のだと、マウスの位置や大きさが違ってやり辛いしなあ。
自分の叫声で浅い眠りが途切れました。何でもない振りをするのは疲れました。この場所で自分を偽ることはしたくないので、もうやめます。
わかっている。悲観的な上に融通の利かない私の、これは自分の中の問題。悔しいよ。叶わないのなら、叶わないなりに精一杯やる。私は、私にできることをする。それに変わりはないのに、どうして苦しいの? 畜生、畜生、畜生!!
今日は下瞼の腫れ上がった、恐ろしい顔をしていました。でも、自然に笑みが零れてきたから、もう大丈夫です。……え、そんな顔でにこにこしていたらもっと怖い?
やっぱり私は自分のことばかり。相手にどう思われるか、どんな影響を与えるかよりも、自分が持ちたくない感情に囚われすぎてしまう。周囲も、足元も、大事なものも、全部全部見えなくなってしまう。そのたびに大騒ぎして迷惑な奴だよねえ、まったく(苦笑) ごめんなさい、また弱音ばかり吐いてしまった。
きっと幻想であろう「キレイな私」を、まだ消すことができない。潔癖でいたいのだろうか? でも、醜いと感じるものを抱えて、悩んで、心を膿ませているのは不健康だ。たとえ醜くても、それを自分のものとし、避けるのではなく、進んで精一杯感じ、昇華させる……。それができたら、きっと素晴らしいと思う。
今朝、雪が降っていました。すぐにやんでしまったけれど、風花でないものが舞うなんて珍しい。
私は、君を理解している。少なくとも、理解したいと思っている。庇うとか、反論とか、そういうことではないと思う。私に君を表すことができるのなら、そのために筆を取ろう。
溜め込んでいたことが押し寄せていて、どうにも慌ただしいです。本やらCDやらが無茶苦茶に積み上げられ、なぜか扇風機も出しっぱなしというこの部屋の惨状は、来年、つまりは新世紀まで持ち越し? ……そう考えると、なんだかオオゴトに思えてきたな。取り合えず表面だけでも片付けよ。
あなたに圧倒されている。普段見せている明朗な顔が、すべてでないことくらいわかっていた。私が見ることができるのは、極一部でしかないことくらいわかっていた。
それでも、今まで知らなかった一人の人間としてのあなたが今日、あまりに大きく、深く、一度に押し寄せて、吹き飛ばされそうです。この存在感さえも、あなたという人間の一部分でしかなく、押し潰されそうです。
こんな日は、殊更自分が小さく思える。背伸びばかりしている自分が滑稽に思える。あなたの眼に、こんな見かけ倒しの私はどう映っているんだろうと怖くなる。積み重ねなければならないことが多すぎて、くらくらしそうです。
今年1年お付き合いいただいた、すべての方々にお礼申し上げます。個人的には内外共に動きのあった年でしたが、いかに周囲に支えられているかということを感じられるようになった、そういう意味では多少なりとも成長できたのかもしれません。本当にありがとうございました。
サイトの方、後半すっかり更新が滞ってしまい申し訳ありません。創作への意欲は鈍っていませんし、いよいよサクラ3も近づいてきました。運営はまだまだ続けたいと願っています。
ただそのためにも、もう少し自己管理能力をつけて、制作のための時間的、精神的な余裕を持てるようにしたいと思います。遅筆は治りそうにありませんが、来年もご来訪いただければ幸いです。
後悔してしまいそうになった時にね、自分の歩いてきた道は間違っていなかったんだと思える、そんな「今」があるのはいいものだね。今の環境があるのは、あの時の自分がいたから。あの時の選択があったから。そう思えるから。
ここでは、怖いとか寂しいとか、そんなことばかり書いていた気がします。ぶつけるだけでどうこうできるとは思っていない、思えない。でも、こうやって吐露してきたのは意味のあることだった。それは信じていてもいいですか?