スタイル選択機能を設置。これこそCSSの醍醐味かと。スタイルシートを物理マークアップのおまけか何かだと思っていては、絶対にできないもの。同じ文書がシートひとつでがらりと切り替わる様は、ドラマティックですらある。
なんて言いながらも、新しいスタイルは流用ばかりだったり。漠然とイメージがあったものの、早くしないと夏が終わってしまうというわけで大急ぎで作成。このスタイルでは小説と頂き物の色変更はせず。マイパソちゃんの環境は未だにIE4なので、どうしても保守的になってしまうという面もあるのだけど。
スクリプトはSSI式のものを使いたかったので、作者さんに無理にお願いして配布再開していただいた。感謝感激。しかし、お礼を伝えようとメールフォームを利用するも、何度やってもエラー。メールアドレスもわからないので、うちの掲示板に私信を書いてみる。ご覧にならないとは思うのだけど他にどうすれば。
理想を語ってください。現実という言葉を隠れ蓑に、向上を捨てた台詞など聞きたくはない。
昨日の私信の件は解決。慌てて動いて、却ってご迷惑をおかけしてしまった気がする。反省。ひとつのことに心を占められ、周りが見えなくなるのは相変わらずのようです。
「すべては海へ」を劇場で聴く日を思うと震えが来る。新・歌謡全集の嬉しいところは、これが生で聴けるなんてどんなにすごいだろう、という更なる楽しみがあること。そして、それが裏切られることはない。サクラファンは恵まれている。
必ずや、最後(一応ね)に相応しい舞台になる。その確信はあるのだから、観客も相応しい態度で臨みたいなあと。携帯の電源等、基本的なマナーをなぜ毎回前説で言われても徹底できないのか。ファン(とは言えないだろうけど)の手で汚点を残すことがないよう、願っています。
濡れた頬を、行き交う車のライトが嘲笑うように照らしてゆく。わかっている。わかっているのに。そんな言い訳は溢れても、たった一言を伝えることさえできやしない。
白は刃、白は痛み。白は光、白は救い。白は、あなた。
明日からしばらく不在になります。空調の効いた屋内での活動ばかりだから、自宅にいるより快適だという気も。
カウントが跳ね上がってどうしたのかと思ったら、2chの「/*CSSでイケてるデザインサイト!*/」スレッドからリンクされていて苦笑。喜んでいいのか悪いのか。まあ、そういう視点で見てもらうことは少なかったと思うので、嬉しいといえばそうなのだけど。
信じることが怖いのは、裏切られることを恐れるからではない。信頼に値するかをではなく、全幅のそれを寄せる身勝手さに疑問の眼を向ける。無条件に寄りかかることが、ひどく利己的に思えてならない。
信じることが怖いのは、それを裏切る私がいるから。事実であれ虚構であれ、そうやって汚すことしかできない自分が何より怖い。
幕が上がって花が舞い、花が降って幕が降り。帰路の寂しさは常だけど、その先にある光が見えること、場面のひとつひとつが瞼の裏に残っていること、それが切ないほどに温かい。
京都、横須賀、東京と、ここのところ移動ばかりでしたが、ようやく自宅で一息ついています。17、18日に観劇した歌謡ショウ、素晴らしかったです。今はただ、煌びやかな、それでいて慈しみに溢れた思い出に包まれています。
同じことを繰り返して、それでも少しは進めているのだろうか。少し陽に焼けた腕に額を預けながら、流れていった時間を手繰る。
2週間振りにアルバイトへ行ったら、脚が疲れてへろへろに。最近、座ってばかりだったからなあ。舞台の余韻が残っていても、仕事用の高い声と作り笑いを当たり前のように貼りつけられる。そんな自分が少し嫌だなんて、また甘えたことを言ってみる。
7月のことですが、NHKで放映されたスペインのマリア信仰のドキュメンタリを見ました。私は特定の宗教への信仰は持っていません。また、そのことに何の疑問も持ってはいませんでした。むしろ、宗教というものに対して懐疑的ですらあったかもしれません。
信徒会が心を砕くセビリアの聖週間。1.5トンもあるマリア像のパソ(山車)を担ぐコスタレロ。なぜそこまでできるのか。それは厚い信仰心ゆえだと言われても、私にその本質を理解することはできません。そこに生まれ育った環境の絶大な隔たりを感じ、大きなショックを受けました。
自然に十字を切る手も、マリア像に流す涙も、私にはありません。それが、自分がひどく欠落した人間であるように感じられました。そして私はその意味も知らずに、祈るという言葉を使うのです。
やはり、それがあなたには重かったのだろうかと、またひとつ謝罪を呟くたびに、鈍い痛みを感じている。未だに囚われるのも、戻れないと嘆くのも、私の思い込みなのだとしても、あなたの眼に映る、自分の姿を思い描けば、思考は、いつも、立ち止まる。
明日からスクーリングで不在になります。が、今日になっても事前課題が終わっていない私はどうすれば(早くやれ)。発想力枯渇中。
お、終わらないっ。残り30案は現地で(泣) 1週間ほど留守になりますのでご了承ください。
自分と向き合い出すと、会いたくて堪らなくなる。励ましなんていらない。何も話せなくたって構わない。ただ、それだけで安心できるから。少しでも見えるようになれる気がするから。……それを理由にしてもいいだろうか。
身に馴染めば馴染むほど、失うことへの不安がよぎる。私の一部となってしまった、してしまった。その硬さを確かめる。その堅さを信じている。