Endless Recorder

2002年3月

3月2日 心が軋む

その手を取らなければ、立ち上がることさえできずにいる。喉が枯れる。息が詰まる。伸しかかるのは理解と受容の軋轢。わかっているから辛いなんて、それは言い訳にしかならないのに。

生きる糧とするための捉え方も、自分を言い聞かせるための台詞も知っている。でも受け入れられない。声に出せない。頭の中で作り上げたところでその希望灯す余裕が、このぎちぎちの心のどこにあるというの? もう嫌だ嫌だ嫌だ。そうやって駄々を捏ねているこの有り様が何よりも。


3月5日 中途半端

灯かりを落として横になる時間が恐ろしい。暗闇の中で膨れ上がる不安と恐怖。抗う術を持たない私は支配される他ない。都合のつく日は日中に眠るようにしてみたものの、夢見が悪いのは変わらない。「嫌なんだ!」「やめてくれ!」「置いていかないで!」そんな洒落にならない叫声で飛び起きてばかりいる。

それでも波が引きつつあるのは感じている。食欲は戻ってきているし、時折笑うようにもなった。この心は感傷に浸り続けていられるほど強靭ではなく、気が狂れてしまえるほど重病でもない。そして温厚になれるほど健やかでもない。そこに私は歪んだ苛立ちを覚える。


3月6日 環状思考

少し回復したかと思えば、またそんなことを言い出す。心底脅えていた夜さえ嘘にする。それにまた嫌気が差して、それにまた落ち込んで。そんな自分を見ているからだと知りながら、それでも私は廻り続ける。何を癒すこともなく、誰を温めることもなく。


3月9日 優しくなんてないけれど

この先ずっと背負わせることになる。再び声に出してしまった時、その思いに引き止められた。それは思い上がりだろうし、罪悪感を持ちたくないだけだ。重荷としかなれない悔しさからかもしれない。それでも誰かを気遣える心が残っていると、そう思ってもいいのだろうか。


3月10日 精神安定剤

後ろ向きな思考回路や幼児性、自傷趣味、性的指向、そして甘えや狡さといった自分の内面を、私は頭で理解しているほど受け入れてはいないのでしょう。それを認めてもらわなければ崩れてしまう。呟き喚きぶつけることで確かめなければ、抱えてゆくことが不安で自分を保てなくなってしまう。

どう思われているのかはわからない。でも打ち消されることはなかった。通り過ぎもされなかった。見続け、そして時折言葉をくれた。すぐに感情に囚われて見失ってしまうものを気づかせてくれた。その温かさを知らなければ、考えようとすることも、表そうとすることも、とうにできなくなっていたはず。

内へ内へと思考を進めなければ、苦痛は生まれないのかもしれない。それでも何も気づかないまま、曖昧なまま大人になるよりは遥かによかった。そう感じることのできる私は、やはり幸福だと思うのです。


3月14日 否応なく

「最終回」の響きは重い。待ち侘びているのに、それを恐れているかのような躊躇い。背中を押すのはお構いなしに迫る時間。望んだものはそこにあるはずなのに。

1週間前だというのに気分が乗ってきませんが、3発売前も似たようなものだったのであまり心配していなかったり。1、2のグランドフィナーレは時間的に無理そうです。1年前に大急ぎでプレイして以来、DC版は手付かず。大神華撃団入り決定な、御三方のクリアデータだけで勘弁してください。


3月17日 寿命というより過労死

4年間連れ添ったディスプレイが、白い煙を上げて昇天。酷使していたからなあ。お疲れ様。現在は譲ってもらったものを使用していますが、数時間使っていると画面が滲んできて小さな文字が読めない。ドライバを変えても改善しないので、中古品でいいから購入を考えています。


その硬さに安心するのは、物理的な何かを欲しているから。眼に見えないもの、手に触れられないものでは、確かとできない私がいるから。


3月18日 抱擁

流した涙の川を 渡るたびに強くなる」 この歌詞を初めて聴いた時、反発と同時に深く納得したことを覚えています。すみれくんはそうできる人なのだと。だからこそすみれくんなのだと。私はそうはなれない。流せば流すだけ、大切なものが零れ落ちてゆく。そんな泣き方しかできない。


すみれくんをヒロインに、サクラ1、2をプレイしていました。2のしおらしさも可愛いのだけど、私的にはやはり1第九話の彼女が好きです。衝撃と喪失の叫びを憎しみと変え、あやめや大神にぶつけなければならなかった。そうしなければ、襲いかかる事実の毒に耐えられなかった。

理解されたい、されてはいけない。矜持ゆえに板挟みになってきたすみれ。傷つけることを恐れ、立ち入らないことを優しさとしてきた大神。そんなふたりを隔てていた壁が溶けた瞬間でした。抗わなくていい、受け止めていい。そうわかり合えた出来事でした。

また、その痛々しい姿に、花組の少女たちが置かれている過酷な現実を叩きつけられます。そういった意味でも極めて重要な場面でしょう。このイベントとあやめさんの日記を見ずに、サクラは語れません。


3月19日 有限幻想

また一つ、認めたくないものを見た。一時の安らぎを得られるとしても、それが何の解決になるのだろうか。そこへ辿り着いても結末が訪れるわけではない。すぐに日常へと引き戻され、終わりが齎されることはない。いたい場所、過ごしたい時間のためなら耐えられると思えたのに。護りたいものを見つけても、すぐにそれを覆う負の思考に気づかされる。

そうやって失うことしかできない私に、あと何が残されているのだろう。安息を叶わないものとしているのは、他でもない私自身だ。このまま引き摺っていったところで、誰の望むものにもなれない。「誰かのために」なんて、最後には選べないこともわかっている。では、一体何のために?

あらゆるものが破綻してゆく。擦り減らしてまで維持したいだけの思いを持てない。私を繋ぎ止めているものなんて、何一つありはしない。そう思うと、どうしようもなく無気力に襲われる。生きることに理由はいらないなんて、何の説明になるというの? 私にはわからない。今ここに存在するための理由が。


3月20日 完結

遂に明日、ひとつの物語は結末を迎える。私には決して届かないものを、彼らはその手にする。彼らだからこそ、相応しい終わりがある。そこに立ち合えることへの感謝、そして果てない憧憬と羨望を覚える。


3月27日 太正桜よ、永遠に

サクラ大戦4、意外なほどあっさりと終わってしまいました。進められないのではないかとか、完結という事実に思い余ったことを仕出かすのではないかとか、あれこれと心配していただけに拍子抜け。涙腺が壊れているとしか思えなかった3と違い、スタッフロールと最後のムービーで泣いたくらいでした。

ですが翌日、再びオープニングを眺めていると涙が溢れてきました。私がサクラと出会って4年8ヶ月、いつからか無理をしていたのかもしれません。次々と出される関連作品、ゲーム本編ですら十分に楽しむ余裕のないまま、追われてきた感もありました。

それももう終わりです。これからは閉じた物語を、完成された世界を、急くことなく慈しんでゆけるのですから。完結の寂しさではなくその安心の、そしてこれからも好きでいられる喜びの涙。サクラは散ったのではありません。降りた幕の向こうで、永久に咲き続ける花となったのです。


3月28日 最終幕(クリアばれ)

長い一日もクリアし、一区切りついたかなといった感じです。ゲームは3回通りプレイして、大神とマリアのエンディングを2回ずつ見ました。もっと明確な結末があってもよかったかなとは思いますが、私的には大神エンドで確定。気持ちよく納まりをつけることができました。

もう花組は戦わずに済んでほしいこと、風組と巴里華撃団が残っていたことから、出撃シーンはイメージと捉えています。二つの都で少女たちを率い、護り、戦った大神の活躍を総括するものとして。しっかと地を踏むその勇姿は、彼女らの、そして私の胸にも鮮やかに宿り続けることでしょうから。

そして歌い上げられる、出会いの喜び、生命の煌き。少女たちは知っています。その花を咲かせる源を、花と足らしめる者を。手折られることのない美しい終わりです。刀を納め、鎧を外し、大神の物語としてのサクラ大戦は、まさにグランドフィナーレを迎えたのです。


3月30日 帰する場所

うがいをして、役に立ったためしのないメモを用意して、アルコールで勢いつけて、胃を押さえて屈み込んで、3回深呼吸をして、ひとり「大丈夫」と言い聞かせる。そこでようやくボタンを押せるなんて、ねえあなた知っているの?

結局、そこへ戻ってしまった。寄りかかってもいい理由を、未だ「あなただから」の一言以外、見つけられずにいる。


3月31日 糸

昨年から溜めてしまっていたノートの覚え書きを、テキストファイルに書き落とした。手繰り、紡ぎ、縺れ、時に掻き乱し、指先から打ち出される言葉はすべて、ひとつのことへ繋がっている。

そうしなければ自分を語れないなんて。如何にそれに囚われながら暮らしているのか。私からそれを除けば何も残らないのではないか。その事実が刺さる。その恐怖が覆う。そんな時期があってもいいのだろうか。そしてその是非を、私が決めてもいいのだろうか。