「君よ花よ」を聴きながら、綺麗な恋がしたいと泣いた。明日のある、後ろ暗くない恋を。少女らしい澄み渡った、美しい恋を。
桜随想を再開しました。ある程度まとまった感想は、向こうへ掲載しようと思います。作者に興味がない来訪者の眼に不用意に触れ、不快な思いをさせたくない。そんな理由もあって独立させた日記ですが、サクラ関係なら読んでくれる方もいるかなと。
この日記も長いこと続けてきたものです。時折読み返すたびに、何も変わっていない自分が鈍く痛みます。書くことで自らの内の様々なものを見ました。知りました。ですがその重さを嘆くばかりで、私は何をしてきたのでしょうか。
愛情の表し方は人それぞれ、正解などはないと彼女たちは言った。そんな言葉を受けて思う。誰かから思いを感じられたのなら、誰かに感じてもらえたのなら、それだけで素晴らしいことなのだろうと。
届かなくても、届かないから、惹かれるのだろうね。
また翻されたか。もういい。もう関係のないことだ。私のサクラ大戦は、4のラストで氏を倒したことで解放されたのだから。
すみれくんとさくらくんをヒロインに、それぞれ最初からプレイ。王道を行ってくれる子は、安心して見ていられるので好きですね。地上部隊隊長はやはりマリアが適任ではないかと。寄り添ってゆくだけがパートナーではないという気もします。それがゲームシステム的に許されないのは残念ですが。
私はやはり、3の大神が好きなようです。4では超人的なヒーロー役、唯一の新型機体、取説の人物紹介も一番、ついにはカーソルにまでなってしまったりと優遇されまくりな大神ですが、3の格好よさには及ばないかなと。まだ黒髪の貴公子になっていないこともあり、3の台詞を書き落としたくなっています。
1回あたりのプレイ時間とソフトの価格を比べることに、どれだけの意味があるでしょうか? 時間を潰すためだけに購入したのならともかく、その時間によって何を得られたのかが重要なはずです。高価だという不満は、満たされなかった期待を価格の問題に摩り替えているように思えます。
一度でも嫌悪や恐怖を覚えると、まず拭い去ることができません。どんなに慣れ、何でもない顔をしていても、しこりを捨てられずにいます。互いに考え方が変わり似通った意見を持つようになっても、歩み寄ることができません。
そうやって抱え続けている蟠りが、近頃いやに重く感じられてなりません。真っ直ぐに読み取りたいと思っても、こびりついた不快感が甦り、悪意を通して見てしまいます。失うものを自覚しながらも我を張り続け、私は中庸でありたいという願いを自ら阻むのです。
何もかも求めなければやってゆけない。価値とか責任とか結末とか、意味とか救済とか存在とか。絶ってしまえば互いに楽になれるかもしれないのに、それでも続ける理由を与えてくれるの? そんな理不尽な要求をまたひとつ。
今まで誤魔化していたナビゲーションリンクを、リストとしてマークアップし直しました。ページ上部のものは削除。link要素もあるのだから冗長だろうと。簡素になった文書を見ていると、HTMLは装飾を施さない素の状態が、最も美しいのではないかと感じます。今度CSSを全部切ってみようかな。
わざわざ利点を失わせる必要がどこにあるのでしょうか。当たり前のことがそうと取られない現状のほうが、余程どうかしていると思いますが。
昇華させるだけのゆとりなんて、もう長いこと持てないでいる。それゆえこの心は淀むばかりで、尚のこと精神的余裕を失ってゆく。ひとつの答えだったはずなのに。そんな言い訳なら打ち出せるのに。
春の陽気のためでもあるのか、最近は大きな波を立てずに過ごせています。やはり私は冬が苦手なようです。心臓に負担がかかる感覚は好きになれないし、寒い夜は殊更に寂しさが募るから。
相変わらず些細なことには囚われるし、気力なんてものは持てずにいる。でもそれ以上悪化させたくないから、耐えられているのなら悪いことではない、なんて甘やかしています。それは何の前進でもないけれど、ひどく臆病になってしまった自分を、そしてそれを言い訳にする自分を持て余しています。
君はなんて優しく笑うようになったのだろうね。どこかぎこちなさを残したあの頃の微笑みを、笑うことに途惑っていたかのようなあの頃の君を、すべて包んで今この腕に抱くよ。
桜随想第13回の追記というか、偉そうなことを少し。どうしても香山氏にはよい印象を持てないでいるけれど、サクラ4をDCで出してくれたことにだけは感謝しておきましょうか。もしPS2だったのならかなり感触が違っただろうから。プロローグの最初に名前が出ることは釈然としないけれど。
その言葉が出た時、思わず身が固まった。自分でも調べたことはあったけれど、いざ突きつけられるとショックだった。しかし時間が経つに連れ、その響きの重さとは異なるものが頭を擡げるようになった。
病院へ行けば何らかの病名はつくのかもしれない。だが、それが何になる? 病と認められたからといって解決するわけではない。医学的に説明ができてしまうのかと思うと、踏み躙られたかのように感じた。苦痛も苦悩も蔑ろにされたかのように感じた。私は歪んでいる。
そんな風に思えるだけには頑丈なのかもしれない。薬で治まってほしくないなんて、症状が軽いから言えるのだよ。息辛くて生き辛くて、どれだけ喚いてみたところで、所詮その程度のことなのだよ。
同じ季節が巡ってきても、もうあの日のようにはなれない。真っ直ぐすぎる理由なんて、もう口にすることはできない。それがどうなるの? それでどうするの? 震えていた声さえなくしてしまった。繰り返し唱える願いは同じなのに。