ソースを全面的に書き直して物理マークアップを排除、文書の構造化を行いました。一気にやってしまわないと気が済まないので、PCの前に根っこを生やして黙々と……ではないな。独り言が多すぎだったぞ。
表以外の目的でテーブルを使わないとか、単位は相対指定にするとか、気になっていた箇所はほとんど直せたので満足満足。一度きちんと構造化してしまえば後はスタイルシートをいじるだけでいいし、ようやく恥ずかしくないものになったと思うのですが。
掲示板にも書きましたが、NN4ではCSSファイルを適用しないようにしてあります。ドリパスやNN4では画面が素っ気なくなりますが、見栄え以外の情報を得る分には何の問題もありません。
フレーム機能やプラグインがないからと、代替リンクもなく門前払いするようなページとどうか混同しないでください。2パーセントのNN4での来訪者さん(当サイト4月統計)を切り捨てたわけではないことは、わかっていただきたいです。
あなたと私は、あまりに違う人間であるということ。
このサイトはただの入れ物ではない。レイアウト、可読性、ナビゲーション、スピード、そして当然文法も、すべて含めた私の表現。論理武装もするけれど、根底にあるのは1月29日の日記に書いたような願いと、Webサイトという作品に対する拘り。そのことで、あなたの何かを脅かす気はないのに。
貴女を愛してみせようか
いつかいつか貴女を僕の
僕の永遠に貴女をしよう
口にすれば事実となり、書き表せば消せなくなる。それでもあなたの一言が痛い理由は、どんなに内で膨らませたところで、書かなければ始まらないことはわかっているから。書こう、書こう、書こう。来ないかもしれない明日だから。
正しい文法で書けばアクセシブルになるんだ。Webって本来バリアフリーなものなんだ。私がWebアクセシビリティに興味を持つようになったのは、綺麗なソースを書きたくて学んでゆくうちに、そういうことを知ったからです。
例えば、Altに代替テキスト(画像の説明ではない)を記入する。その僅かな手間をかければ、ぐっと利用しやすくなる人がいる。欲しい情報を得られるようになる人がいる。ほんの少しだけ周りを気遣う。それは小さなことかもしれませんが、確実な一歩ではないでしょうか。
本当は話なんか聴きたくないんだ。別の姿を知れば知るほど、独占できないもどかしさが募るから。僕の知らない貴女を生み出し続ける唇を、僕のそれで塞いでしまいたい。
えらく久し振りにSSを更新。この1年、本当に何やっていたんでしょうね。元々は第十三話のアイリスの手紙に納得できなくて考えたお話です。もっと突っ込むべきだろうと。まあ、この話ではヒロインではありませんが。
どこまでなら迷惑じゃない? どこまでなら求めていい? そのラインは制限装置壊れた私に侵されるけど。
鈍い痛み伴なう一時の幻にでも縋らなければ、明日さえ迎えられない。禁断症状のように繰り返すのは、壊れた蓄音機になる夜。
かつて、当然のように思い描いていた将来像とは異なる今だけど、あの頃の私にはなかったものを、彼女にそっと耳打ちしてやりたいものを得られたこと、深く感謝します。
今日、ひとつ年を重ねました。それに足るものを、この一年で身につけられただろうか。来年、胸を張ってこの日を迎えられるだろうか。そんな不安はあるけれど、あの頃の私に向き合っていられる私でありたい。そう思うのです。
私はあの頃のままなのです。いつも眉間に皺を寄せているのも、爪を噛む癖も、箸の持ち方がおかしいのも、情けないほどに脆い涙腺も、あの頃のままなのです。
中学生という身分を不当に感じていた頃の私が、近頃よく現れます。今は近くにいてくれるようです。
今更ながら気づいたこと。いわゆる「ほーむぺーじ作成ソフト」を使っている人は、日記を1日分書くためにも毎回ソフトを立ち上げているのでしょうか? ブラウザからソース表示(メモ帳トラッパー併用)して追加していると、面倒だという意見に疑問だったのですが、日記用CGIが流行る理由がようやくわかりました。
恐れるのは書けなくなる明日よりも、伝えたい人がいなくなるかもしれない明日だろう。