強い語調というのは難しいなあと。意見を同じとする人からは大きな賛同を得られるだろうけど、異なる意見を持つ人には強い反発を持たれてしまう。抵抗や嫌悪を与えるためだというのなら、その文章は効果的だろうし、事実私は支配されてしまった。でもあなたが伝えたいのは、きっとそんなことではないだろうから。
だから、もう少し言葉を選んでもいいのではないでしょうか。あなたの思いを伝えるために、最も相応しい言葉を探してもいいのではないでしょうか。その結果が茨の言葉なら、それは残念だけど仕方のないことだから。
……こんなことを考えてしまうのは、私が誰からも嫌われたくない臆病者だからかもしれないけれど。
結局、自分が不快になるのが嫌なだけなのだろうけど。我は平気で押し出すくせにね。
覚え書きファイルから作品への昇格が決まらない短文を、SSIを使ってランダムに表示させるようにしました。いや、溜め込んでおいても勿体ないなあと。トップに置こうかとも思ったのですが、謎文があるしというわけでこちらに。
基本的にフィクションというか、ネタというか、私の考えそのものというわけではありませんのでご了承を。クラス名は「lines」にしてありますしね。
しかし、誰もがあなたのような強さを持てるわけではないということ。その姿は時として眩しすぎるということ。
「たとえ舞台の幕が降りても、皆さんとの思い出は決して消えることはありません
」
サクラ2グランドフィナーレよりマリアの台詞。大切なもの、それへの思い……変化していっても、与えられたものは変わらない。消しても壊しても殺しても、内で生き続けてゆく。どんな形であれ、それを受けた自分も生き続けてゆく。
あなたが書いたものも、その言葉が与えたものも、変わりはしない。どのような答えを出されるとしても、あなたが刻んだものは永遠なのだと、そう思うのです。
無神経な人間が嫌いなのは、自分が不快な思いをするから。だがその発言を封じ込めるためなら、平気で無神経になれる人間なのだ。乱暴な台詞をモニターに向かって吐いているというのに、穏健派を演じているこの偽善者は。
いや、中庸でありたいと思う気持ちは本当なのだ。だから、言い聞かせているのだろう。かつて、キャラクター偏重の傾向が過激なまでにあった自分に。転じて、否定的な意見に過ぎた怒りを覚えてしまう自分に。
終わりを見ている。いつも、今の先にある終わりを見ている。
この言葉、よく使いますね。今年に入ってからは顕著に。予めそれを見ておけば、落とし穴に嵌まらないから? いつかその時が来ることを自覚し、今を精一杯大切にできるのなら素晴らしいだろう。しかし私はその時が来ることに囚われ、今の輝きさえ見えなくしてしまうのです。
何をそれくらいでと笑ってください。でも、私が何より恐れることは、十分に起こり得る。その事実の重さを改めて感じ、独り脅えていたのです。
「ユニバーサルHTML/XHTML」読了。汎用的な文書作成からサイト運営まで、情報共有という観点から「考え方」を解説した良書。プロジェクト企画・設計にまで及ぶ内容は、触れたことがなかったので新鮮でした。
HTML関連の書籍は数多く出版されているけれど、巡回サイトで評判のよいものしか買わなくなっている。間違いが多々含まれたものが蔓延している中、大学のWebデザイン科目の推薦書に薦められないタイトルが。……笑えない。
中学生の頃、絵画教室の先生の前で泣いてしまったことがあります。油彩の背景を、こうしたほうがいいよと、手直ししていただいた際のこと。自分だってそのほうがいいと感じたのに、そんなに自分のものに手を入れられるのが嫌だったのでしょうか? 教えを請う身なのに?
気がついたら涙が零れていた。そんな私に先生はひどく驚かれて、慌てて謝られてしまいました。私が身勝手だったのにと、今でも申し訳ない気持ちを持っています。
案内板のサイト説明を別ページに独立、追記。言い訳が多くなりました。自己紹介もそちらへ移動しています。その他、リンク色を微妙に変更、WWWC対応、掲示板のホスト名記述取り止め等々。
リンク報告してくださっている場合でも、解除する際のご連絡は不要です。サクラサイトが主に属しているのは、そういうネット文化圏ではないと感じるので書き加えておきました。
文化という表現は大袈裟ではないと思う。段落アンカーを論じているところがあるかと思えば、直リンク禁止が当たり前なところもある。鎖国なんてできはしないし意味もないWebでは、そういった差を持つ地域(と言っていいのか)が重なり合っている。だからこそ難しいなあと。
冗長にはなりたくないが、必要なものははやり必要であるということ。……駄目だ、鬱になってどうする。悔しいなんて気持ちが湧くうちは、投げ出すには早いと思いたい。
覗き込んだカップの中の、果てなく深い色に安らぎを覚える。それは儀式。苦味と共に飲み込む、鈍い痛み友とする私の儀式。
13日の続き。先生には6年間お世話になりましたが、そんな感情を持ってしまったことなんてなかったのに。なぜあの時だけそうだったのかわかりません。
あの頃は、流したくない涙ばかり流していたように思います。ちょっときつく言われたくらいで泣いてしまうので、毅然と言い返してやりたかったのが叶わずに、なんてこともよくありました。それが悔しくてまた泣いて。流せば流すだけ、自分が安っぽくなってゆく気がしてまた泣いて。
嬉しさのあまり涙が出る、そんな風に泣けたことが嬉しくてまた涙が出る。知識ではなく実体験としてそれを知ったのは、ずいぶんと後になってからのことです。
感動して揺さ振られたり、景色ひとつで衝動に駆られたり、ほんの一節が琴線に触れたり……。あの頃以上に涙脆くなっているけれど、悪いことではない気がします。しかしまあ狡い私は打算が働くのか、泣いてもいい人の前では一滴も零れなかったりするのですが(苦笑)
昨日と変わらない今日に安堵し、今日と変わらない明日をどこかで望む。待ち焦がれているはずの変化。恐怖にも似た躊躇いを覚えるのは、それが、終わりへの始まりかもしれないから。
出会ってからのことを考えていました。確かに君のことを考える時間は減ったし、何より優先させたいほどの情熱は失ってしまった。翌年2をプレイするまでの期間が一番熱狂的だったなあと、懐かしく思い返していました。
冷めたと思われるかもしれないけれど、そういった寂しさは伴なわない変化。毎日名前を連呼しなくても、声高に思いを叫ばなくても、ごく自然に好きでいられる。私の中の君が、そういったものになって久しい気がします。
そんな時間の流れの中で、君は変わらずにいてくれた。あの頃も、今も、穏やかに笑っていてくれた。そのことに今更のように気づき、温かな感謝と、これからもそうであってくれると嬉しい、そんな気持ちを持っています。
誕生日、おめでとう。君が幸せであってくれるよう、心から願っています。たとえ君が年を取らない人になってしまっても、降りた舞台の幕の向こうで微笑んでいてくれると、私は確信しているのです。
とうとう来てしまったか。何より先にそんな思いが湧いてしまった。そして、それとは反する終着への安堵もあり。勿論喜びや期待もたくさんあるのだけど、後ろ向きなファンで申し訳ない。……いや、終わるとは誰も言っていないか(そういうところが後ろ向き)
夢見が悪い。嫌な汗をかいては眼を覚ますなんてことが断続的に続く。見るのは昔の、それも対人関係の夢ばかり。眠ったはずなのに疲れが取れない。
えーと、本当に完結なんですか? 昨日の日記は夕方、速報を知って更新したのですが、後から他のページを読んでまた色々と思うことが。しかしまあ一度に発表されてお腹一杯。……ちょっと待て、星組の隊長は「か」のつく人という設定があったはずだけど。
ご多分に漏れず大神華撃団の構成を考えたり、発売までに3をやり込めるだろうかと心配したり。でも、どうしても心の裡を吹いてゆく風がある。そうか、終わりなのか。
手放しで喜んでいない自分が嫌だったのですが、4のタイトルロゴを見て少し持ち直しました。荒鷹(だといいなあ)が大きく関わる話だと嬉しい。副題は直球だなあと。だからこそ相応しい。きっと、すべてが相応しいものになる。
それは、副作用の強すぎる安定剤だけど。
DCではラストだとか、大神編が完結だとか、何だかはっきりしませんが。まあ私としては、幕引きへの心構えはできてしまったということで。……ごめんなさい、そんなことばかり言って水を差している。
夜更かしするのが好きでした。眠りに就くのは嫌でした。だって、寝てしまえばすぐに朝になって、また一日学校に閉じ込められなければならない。徹夜なんてできなかった頃の私には、起きている限り朝は来なかった。夜の静寂に包まれた自由な時間があった。
「早く寝なさい」という小言への反抗と、周りが眠っている中で自分は起きているという優越感。今でも夜は好きだけど、一晩中起きているのも珍しくなくなって、あの悪甘い楽しみは減ってしまったのかもしれません。
私は知らなかった。知りたくもなかった。眼を見開き頭を抱え、壊れたように泣く夜があるなんて。狂気に呑まれる夜があるなんて。
でも、それでも夜に溺れていたい。どれだけ喚いたところで私を日常へと押し流す、そんな朝なんて来なければいい。あなたのいない朝なんて来なければいい。