Endless Recorder

2000年5月

5月18日 再開にあたって

結局何を恐れていたかといえば、やはり「他人の眼」だったのだと思います。顔の見えない誰かに嫌悪を抱かれているかもしれない、悪意を持たれているかもしれない。跳ね上がったカウント数を、静まり返った部屋で独り凝視した夜。物言わぬ視線に晒される、Webの怖さ。

周囲すべてを敵に回した気でいたなんて、被害妄想もいいところですね。自分で自分を追い詰めてどうするんだろう。誰にでも好かれようなんて無理な話だけど、普段の数倍になった来訪者すべてに敵意を持たれていたわけでもあるまいに。他ならない私自身がモニターの向こうの誰かを見守ることがあるように、気にかけて来てくださった人もいただろうに。

そう、原因はここなんです。私があんなにも悲観的に思い詰めてしまわなければ、自分のことしか考えられない子供でなければ、もっと穏やかに済ますことができたはず。そう痛感しました。


お休みする時に相当ドロドロしたことを書いてしまったから引かれているかも。そんな心配をしてしまったので、少し振り返ってみました。これは後悔でも自虐でもありません。繰り返さないための反省と事実。水に流してくれとは言えませんが、気持ちよくお付き合いさせていただきたいのです。

Webでの人間関係なんて、もっとドライでスマートなものだ、なんて意見もあるかもしれません。でも私はそんな風には割り切れないし、割り切りたくもないのです。大切なものを、否定することになってしまいますから。

気にかけてくださった方、励ましてくださった方、本当にありがとうございました。お心遣いにどれだけ救われたかわかりません。待っていてくれる人がいる。私を見ていてくれる人がいる。それは決して重荷ではない責任感を与えてくれるもの。「頑張らなくては」ではなく「頑張りたい」……そう背中を押してくれるものでした。心から感謝しています。


私は未熟で、感情的な人間です。どうしようもなく情けない格好を晒したり、自分ごと消してしまいたいくらい醜い感情を持つこともあるけれど、そういうこともすべて含めて「私」なんだと思えるようになりました。

あまり格好よく生きられないけど、見栄と保身のために誤魔化したり、正当化したりするのではなくて、ありのままでいたい。そんな「私らしい」自分になりたいのです。

サクラ大戦のこと、ものを創るということ、人との付き合いのこと、自分自身のこと。ぐるぐると悩んだり、きっかけを貰ったり、何かが見つかったと思えば新たな疑問が沸いてきたり……。今日からまた、ここで日記を書いてゆきます。それは私の足跡に他ならない。そう思うのです。


5月22日 ようやく……

山崎様より賜わったCGを掲載させていただきました。遅くなってしまいすみません。1ヶ月以上も独占してしまっていました(汗)

自分でもここまで再開が遅れるとは思っていなかったです。ソースの書き換えとか、CGIの改造とかはちまちまとやっていたのだけど、肝心の作品が一番時間のある時にスランプに陥ってしまい筆が進まなかったという、タイミングの悪さ。「書きたい」という気持ちに迷いはなかったんですけどねえ……。

頂いたメールや書き込みを読んで、本当にご迷惑ご心配をおかけしてしまったなあ、と反省すること頻りです。結局のところ、私は私でしかないのだし、焦ったところでいいものなんて書けるわけもないので、マイペースでやっていこうと改めて思います。

そういえば、18日は「518」の語呂合せから「ことばの日」だったそうです。後から知ったんですけど、少し嬉しかったりもします。


5月25日 歌謡ショウの広告、追記:DC版

昨日の朝日新聞夕刊に、歌謡ショウの広告が載っていました。確か去年はなかったよなあ。やっぱりTV放映による認知度アップっていうのは、計り知れないんだろうな。……ここでは見られないけど。

桜随想の第2回を掲載。実は全然ストックを用意していない、無計画な私なのです。


同日追記。

DC版サクラ1、Dダイレクトから届きました。取り合えずオープニングを観てみる。……良いです。ああ、これなんだよなあ。やっぱり1が好きなのです。さくらくんの伸びのある声、品のあるコーラス部分……檄帝は初代が一番好みです。

そして何より、吹雪の中に佇む黒衣の麗人。振り返る、白く硬い顔。きつく結ばれた口元。翡翠の瞳が開かれ、その視線と銃弾に射貫かれた時から、私のサクラ大戦は始まったのです。あの洗練された、あるいはストイックな格好よさは他の娘には出せません。本当に、すごく好きなシーンです。


5月26日 誕生日

泣きたくなることもあるけれど、不幸だとか、可哀想だとか、そんな風には思っていなかったつもり。後ろを向きたくなることもあるけれど、いい加減だとか、どうでもいいとか、そんな風には生きてこなかったつもり。……それくらいは胸を張ってもいいですか?


今日で二十歳になりました。あまり人付き合いがうまくないけど、それでも傍にいてくれた人たちに、とても感謝しています。誰も口には出さないけど「ここにいてもいいよ」って、その気持ちは貰っていたつもりです。

我が儘ばかりでごめんなさい。好きなことをさせてくれてありがとう。面と向かっては言えないからって、こんなところで呟いてみる私だけど、これからもよろしくお願いします。


5月29日 メールソフト

現在メーラーの乗り換えを検討中。私が使用しているのは悪名高きOutlook Express4でして、少しはマシな5へのアップグレード予定も立たないわけでして、これは何とかしないとなあ、とようやく問題意識が(遅)

なけなしの名誉のために書いておくと、相手に確認もしないでHTMLメールを出したことは一度もない。でもヘッダ関連で迷惑かけていることは確かなわけでして、重いしセキュリティ的も狙われたりで問題があるわけでして、これは換えた方がいいだろうなあ、とそういうことなのです。

いろいろと調べたり訊いたりしてみた結果、AL-Mail32、Becky!、Datula、EdMaxフリー版の中から選ぼうかなあ、くらいにまで考えました。後は実際に使ってみた上で決めようっと。

ところで、そうと知らずにHTMLメールを送ってしまう人には注意してあげた方がいいのでしょうか? いえ、私は構わないんですが、白地に黒文字、何の装飾もしていない、明らかに「あ、わからなくてそのまま書いてるな」というHTMLメールは無駄ですしねえ。


最近、ちょっと不安定。わかってはいるんだよ。あの頃とは、私も、あの人も、状況が違うんだって。いや、むしろ、あの頃がなんて貴重な時間だったのかと、眩しくて仕方がない。

感謝を忘れたことはないけれど、どこか習慣にすら感じていたなんて、どれほど思い上がったことなのかと、今になって身を切るようです。


5月31日 感情の耐性

別に不安定なのはいつものことだよなあ、なんて苦く笑ってみたりする。寂しいのは本当だけど平気だよ。だって信じているから。そう言い聞かせながら帰ってきたのに、タイミングよすぎるよ。嬉しい、でも困惑してしまったりもする。


感情に対する耐性が低いなあ。休止以降、そう感じることが何度かありました。これは嬉しさのあまりなんだけど、処理し切れなくなるのか、泣き出したり、突然奇声を発して蹲るなんてことを繰り返していた時期もあります。

感受性が強いと言ってくれた人がいたけれど、それと感情を抑えられないのは別の話でして、実際に生活に影響が出てしまったりも(苦笑)

もっといろいろな経験をしていけば治まるのでしょうか。でも、慣れてしまうのは勿体ないというか、ちょっと寂しい気もします。いつか消えてしまう感覚ならば、今のうちに大切にしておこうと思います。