日記
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2005年1月1日(土) 健康で不健康で
一月一日でございます。と、いいながら、3日に実家から帰ってきたのですけれど。
この日数年ぶりに従兄弟に会って参りました。
少々事情がありまして、あまり親族とは会いたくない自分なので(一度過呼吸の発作でひっくり返ったのが気恥ずかしいだけなんですが)、今回は東京に出てきている数人の従兄弟だけに会って来ました。
…昔のままと全然かわらぬのですけれど…年相応の分別というものは…(苦笑)
それ以上にひとつところにとどまれないのが、自分らの血というのを再確認して(苦笑)公務員ばかりで安定志向の一族だと思ってたんですけどね。生まれてこの方。
その一族の傾向と全然あってなくて、どうにかしてとあせってた自分はなんだったのか…
こっから少々正月らしくない話題なのですが、中原の片親は長崎の出身です。運良く原爆の被害を逃れ、早死にすると言われていた親が運良く生き残って、自分がいるわけですが、従兄弟のうちの幾人かは被爆二世です。親は体内被曝だったそうで、その方も早くなくなりました。その従兄弟がしみじみと「100まで生きたいね」そう笑うのです。
自分はどちらかというと健康のためなんていう言葉と無縁な生活をしています。中原を知っている方はご存知だと思いますが、煙草も多少吸ってます。金銭の関係と自分が吸っているので気管支の弱い友人らに不快な思いをして欲しくないので、普通に売ってない(ダビドフ・ウルトラライト)ので、無くなったら吸わないことにしています(苦笑)
二人の会話で死んだ人の話題しか出ないのも、どうかとは思うのですけれど、その人の年を過ぎたとき、その人の逝ってしまった日を迎えると、どうしてもそれが頭から離れないのです。
数年前のこの日、祖母が亡くなりました。そのときにあわてる親族を見ながら、冷静にどうしたらいいのか、連絡の方法を考えている自分が嫌になりました。そして、生きているものが物に変わる瞬間の怖さを知ったのもこの日でした。
どうか小さい生き物でも生きていることと、それが続いてることに感謝を込めて、この年も流れることにしましょうか。
2005年1月3日(月) 刃としてのことのは
最近、テキストサイトをよく見ています。
特に面白く見てるのが、なぜかお坊さんとその周りの方たちが書いている日記をよく見ます。
仏教色があるのも多いのですけれど、自分の土台を持って日々を見ている。それが面白いのです。お坊様の妖怪談義は中々。
で、タイトルなのですが、最近少々思っていることで、自分が強く思っているのを伝えたいが故に、他の人を傷つける言の葉を選んでいないかということです。
勿論確信犯でやる人もいるので、なんともいえないのですが(苦笑)
その否定されたものを大事にしている人は、どう思うのでしょうか?自分はそういう思いでこの日記を時事問題を比較的少なくしています。(実はもう一つBlogを書いてるんですが,こちらの方が日々もう少し現実味あるものを書いています)どちらかというと日々暮らしている間に書き留めておきたい、そのうち作品のネタにでもなるかもしれないというものがこちらに書かれているのです。
いくら傷つけようも思っていないといっても、自分が正しいと思っても、それは刃でしかありません。
その傷ついた人はまた己を守ろうとして、刃を振るう。
そしたらそれは「戦」なのです。
それを考えると怖くて言の葉など書き留めることができないのですが、それ以上に書きたいという気持ちが上回っているわけで。
ですから、時には誰かに刃を振るっている覚悟、斬られる覚悟。それをしていかないといけないなと感じています。
…だから、縁を切られることが多いのね…(号泣)
…ついでに、これで何かを書くことが怖いと思われたらどうしよう…(汗)
さらに言うなら、数年前もおんなじこと言ってなかったっけ?<自分
2005年1月9日(日) あなたは怒ることないんですか?
って、最近よく聞かれます。
大体「自分が怒る前に周りの人が怒ってくれるから、怒るタイミング逃しちゃってねぇ」とかいって笑ってます。
口ではたまに不快を表明することはあるけれど、それは大抵苦言程度で収めているつもりですし。
表立って怒ったのは、ここ数年だと一件(これは珍しく人前で怒ったんですが、いまだに言われますね)…かな。
一年ほど前にひどい目にあわされて、本来なら怒らなきゃいけないのに、それでも全部私達のせいにされて、いまだにそのせいで家族の方にばっちり溝はできてるし、それでもあの一番酷いときに怒れなかった。
彼らが逃げて、それのとばっちりを受けた人たちのことが気になってた。
怒るのは、エネルギーが必要なことです。
冷静に計算の上で誰かに喧嘩を売るときもありますけれど、ほんとに怒ることに使えるエネルギーがあるなら、私は考えることに、誰かを思うことに使っているのでしょうね。
…できれば書く方にエネルギーが行くといいんですが(苦笑)
さて、歌謡ショウ楽日です。
実はまだ見てないので、今回は十日に二回だけです。きちんと最後まで無事に見ることができますよう。私も楽しむことができますように。
2005年1月10日(月) 珍しく隣で誰かが寝てる夜
徹夜でこんなもの書いてます。
寝息は規則だたしく、ぐっすりと寝ています。
でも心配で寝ることができません。
次の瞬間もこの人が、このまま規則正しい寝息を立ててくれるのか?
一瞬でも寝息が止まると、息苦しくなって相手の顔を見て確認してから、また何かしらの作業を続ける。
規則正しい音というのは、ちょっとでも狂うともう駄目です。
と、言うことで時計も駄目。電子音も駄目。最近やっと遠くの音なら平気なように慣らしたのですが、近くはまったく駄目(苦笑)腕時計ができずに、手巻きの懐中時計。
昔付き合っていた人には、腕時計を外してもらってたのですが、さすがに心臓は…ねぇ(苦笑)
仕事が機械を相棒としなければならないのに、なんとも厄介といえば厄介です。ただ油断してなければ、不快な感覚だけですみますから、まぁ良しとしなければ。
うちのマリアにも同じ恐怖症を持ってもらいましたけれど…さすがに今になるととんでもないなぁと思ったり(苦笑)
私の話を演じてくれるマリアは、私にとってのカウンセラーでもあります。
どうも寝ている人はいい夢を見ているようです。
どうか無粋な音で起こしてしまいませんように、そして時間にきっちり起きてくれますように…(なかなか起きてくれないんだ、この人は(苦笑)だから徹夜何ぞする羽目に…隣の部屋に自分の布団ありますもん(笑)…自分も朝弱いんですけどね(苦笑))
2005年1月11日(火) 正典と偽典
歌謡ショウ、楽日に二公演見てまいりました。
「人」と「神(西洋ではないやつね)」との違いをつらつらと書こうと思ったんですが、(手の表現だけで、その先の性的な部分も表せるわね…(苦笑))ちょっと動揺することがありましたので。
ついでに言うと、まだやることがあるので、この記述は後からきちんと書き直します。
備忘録にするな<自分
なのですが…
あ、あのさ…かえでさん。
さらっと貴女おっしゃいましたが、「太正」の日本の制度は……「民主主義」って本当ですかーーーーー(がっくし)
私てっきり…[立憲君主]だと思って、今まで作品書いてたんですが…ついでにプロットモロにそこにぶち当たる作品山ほど…あるんですけれど…
まぁ…民主化運動が…たしかに…でもさ……えーと……
同人暦長いもので、原作を[正典]自分の書く二次創作を[偽典]と称している自分で、サクラの場合は、実際の歴史とゲームの歴史をすり合わせて作るのを、中原は基本としていますが、歴史事実とサクラ上の歴史事実が違う場合は、サクラ世界の事実を正として、どうにかして歴史とぶつからない部分を持ってきて作っています。
例えば、マリアの両親の流刑が長すぎるというのは(普通は流刑の刑期は三年らしく、それ以上は何かしらの理由が必要らしい…)、流された先の警察署長と軋轢があって、素行が悪いという理由を中央に流されたとしています。
島津氏によって武具の携帯を禁じられた琉球の民が、身を護るというので発展したはずの空手の一流派の桐島流の掛け声が、示現流のものなのかはなぜかというのも、自分の中で理由をつけて、プロットを作っていましたが…
さすがにこれは、カンナとマリアの一番重要な台詞にかかわってしまうので、プロット自体を作り直すことになりそうです……
そのうち限定で出すかもしれませんけどね…こっそりと(苦笑)
2005年1月12日(水) 寒いです…
どうか皆様方、火の元には気をつけて。
全員、無事でありますように……。
2005年1月13日(木) どうやらニュースになってないところを見ると
死人は出なかったようで。
一部じゃ出たんじゃないかといわれてたんで、気が気じゃなかったのですが…
無意識に感情・体のほうが同調するんで、どうしようと思っていたのですが。
こういうとき、社会的弱者についてどうなんだろうと思います。
周りの人は弱者に対してやさしくあろうといい続けます。
自分もそう思うのですが、そちらの方が大人にならないとどうにもならないことも多々あるもので…
よく間合い間合いと言うのですが、どうしても不便さを感じている人には手を差し出したい。けれどもどうしていいかわからない。
そうしてタイミングを逃していると、逆に怒られるんですね。いろんな意味で。
自分も何回か怒鳴られて痛い目にあっています(苦笑)
確かに不自由を感じている人はたくさんいます。それに対して差別・無視する人がたくさんします。自分より下に見る人もいます。
けれどもどうしていいのかわからずに、タイミングを計ってる人もいるのです。
どうかそんな人を見かけた場合、ちょっとだけ譲って、その人のことを聞いてみてください。
いいことは、たまにはありますから。
…あれ?何か言いたかったネタとは違うネタに……(苦笑)
年末からいただいているメールに関しては、年末年始のご挨拶以外はすべてご返事しております。
もしも届いていなかったら、メールサーバーの関係がありそうですので、出したかどうか聞いてみてくださいませ。
何か調子が悪いメールサーバー。
2005年1月14日(金) どうせ善人じゃありゃしませんがな
小悪党な中原でございます。
文章というのは、その人のその人となりが出ると申します。
…あれ、最近嘘だと思うようになりました。
心理学をかじったところによりますと、人間、コミュニケーションに使う言葉なんてたかが知れているらしいです。声の調子やボディランゲージの方が重要視している。
時には身体の方が、言葉よりもその方に自然に反応したりする。
んで、そもそも読むだけだった中原が文字なんぞ書き始めた理由が、「リライト」だったりします。もう学生時代も終わりだった10年ちょい前。ゲーム仲間は貧乏人が多くて、ネットゲームをやるというのに、レポート用紙に殴り書き。それをコピーして参加者に配っていた。はっきり言って、読めないほど汚い字…ストーリーをたどるよりもまず解読作業が必要だった覚えがありまして、何を思ったか「もったいないなぁ」と思ったのがきっかけというか、なんと言うか。
解読と先ほど書きましたが、本当にそのままの意味で、気分は古文書だかなんだかを一つ一つ確かめながら、訳してる気分。
殴り書きの文字を指でたどりながら、声に出して文字を書いていく。意味が通りにくいところは、少々手を入れて。それがだんだんワープロになり、パソコンになったけれど、やっているうちに書いている人たちが見せようとした風景が、見えてくることがありました。星間戦争を生き残るために必死で戦う人たちや、それを横目にアウトローを決め込んで権威主義を笑いながら通り過ぎていく人たち。そんな人たちが字が汚い、誤字脱字だらけの普段だったら捨てられる話の中たちに、凄い鮮やかにいたりする。
それに気がついたら、結構まわりでも子供達の夢の話、学生達の他愛もない話。誰もが皆が考えるつまらないとされている話がそうでないということに気がついて。
気がついたらリライト作業ばっかりやっていて……誰かが声に出して、その風景を見てもらうことだけ目指しています。
昔オリジナルを書いていたときに、プロットのノートに主人公の父親の言葉として、このような言葉を書きました。
「いいかい、誰かが一つお話を思いついたとするよね。それを誰かに話した時点でその世界が今私達のいる世界のようにどっかにできるんだ。そして、その世界は誰かが覚えている限りずっと生き続けている。だから僕達童話書きはその世界を一日でも生き生きとしているように、他の人たちに広めているんだよ」
…あぁ、台詞が長い(苦笑)
まぁ私が目指していたのも、大体そんな方向で(苦笑)
最近、この文体が読みにくいだろうなぁと思ってみたりするのは、文章を真剣に考えている人たちとお話しすることが多いせい。
皆簡潔に適度に間引いて、整頓された白い文章をお書きになる。けれども私は白い空間が怖いのか、漢字は多く改行もせず、ただ思いつくまま書き連ねている。
これが私が文章を書くリズムと話すリズムなのだと言うと、苦笑されているけれど。
今年は少々気をつけて書かねば。
あ、そうそう。何の話だっけ……
ですからね、文章だけで人となりを判断しちゃいけませんよってことですよ。
面と向かってあっているはずなのに、あれだけ話したはずなのに…「やっぱり文章も男前だ。」ってなにーーーー(号泣)
2005年1月15日(土) 養生する理由
自分の母方の家系は三代続いての健康オタクだったりします。
健康雑誌を見てよいと思えば、すぐに自分で実験してしてみたり。
しかしその理由は三者三様で、
一人は迷惑をかけぬよう
一人は人生を楽しむよう
一人はいざというときに動けるよう。そして誰かに手助けできるよう。
そんなつもりで養生しております。
一人は過去を生きていて
一人は未来をよりよく楽しみ
一人はその場でぼんやりと
日々すごすためにやってます。
先日一人縁のある方が、宣言しました。
自分がかかっている難病の一つを、西洋の医学に頼らずに、東洋の医学と知恵に頼るということを。
今から見たら彼の宣言は、無謀なことに映るのかもしれません。
しかし自分としては、彼のその挑戦がよい方向にいくように祈っています。
(前に掲載していた文章が消えましたので、再度思い出しながら書いてます。思い付きをそのまま書いていますので、あくまでもその大体のところまでですけれど…(苦笑))
2005年1月18日(火) なんだか…
今日は朝からお詫びしてばかりですな…自分。
今日と明日の会議だけは、なんとか頭下げずにすみますように(今から胃が痛い…)
ぽかだけはしませんよーに。
無事に帰れたら、韻律の事に関して書いてみようかと思っています。
会議は無事に、明日は出ずにすみそうですが…やっぱりお詫び行脚は変わらないらしい…うぅ…校正する前に原稿持ってかれた&真っ赤になって帰ってきた………
どちらにしろ、最近は言葉を増やしている割には、言葉が足らないものですから、どうも空回りする傾向があり。
2005年1月19日(水) 日々これ縁
「色々な楽器の経験がおありのようですね。
きっと音楽を心からお好きなのでしょう!」
あるご縁でご連絡を取ることができましたプロの演奏家の方にこういわれました。
そして私はこう答えました。
「最近は楽器に触れることは少なくなりましたが、音というもので風景を見せてくれる
人たちが昔からいたものですから、音楽というものは好きだと思います。」
……ある意味後から冷静になると、とんでもないことを言っております、中原です(苦笑)
去年終わりくらいからずっと考えていることがありまして、それを少々アウトプットしてみようかと思っています。
今年の自分の課題として[音を愛でよう]音とはまた声でもあり、小さな音でもあります。音にならない訴えられる何かでもあります。それをもっと大切にしようかと。
2005年1月23日(日) じゅーぶん間にあってるからっ
女性なんぞ紹介せんでいいっ!!
自分をノイローゼで暴れさせる気か?<出会い系メール頻発
全部迷惑メールで通報の上に、プロバイダメールで送っている方については、プロバイダの方に通告準備中。
……とはいうものの、こういうこというと、中原の場合冗談とは思われずに本気にされるんだよな(苦笑)
ま、女性の声は、パニックになってなきゃ耳に心地いいのは認めるが…
今はちょっと…週末作業山済みだし(苦笑)
先日の日記を記憶がないうちに削除してしまって、再度書き直しをして、一年ぶりの稽古に行って全身筋肉痛を速攻で起こし(怪我のリハビリ、接骨医の某先生にお願いしよう…)、これから二年いかにして自分を追い詰めるか計画中。
さてはて、どうなることやら(苦笑)
とりあえず、今日は食事しても気持ち悪くならないので、よい日だと思う(苦笑)
もう一つの日記は何かこうかな…あちらはコメントが付けられるので、お暇だったら遊んでくださいませ(苦笑)
2005年1月23日(日) 送りびと
一緒に逝こうよ
大丈夫 君の大切な愛している人の元に届けてあげるから
だからその人に渡すまでのひと時だけ
僕をその手につなげてほしい
おっかしいな…まだそんな時期じゃないのに。
「人間」に絶望して「人」に憧れて 早く己を手放すことを望んだ君達は
幸せなんだろうか?誰かの手を欲しがって嘆いていないだろうか?
2005年1月25日(火) 変なことばっかりおぼえてるんだわ
人の顔と名前を覚えない割に、誰かが書いた文章とか何気に話した一言を覚えている自分。
やっぱり誰かというのは覚えてないので、もう一回調べなおして確認したり。
「そういや、捨ててこいといわれた風邪捨ててきました?」
「いやーまだ」
「そこに手ごろなダンボールありますから、それ持っていって雷門のまえにいけば誰か拾ってくれますよ。あぁ、ちゃんと拾ってくださいって紙に書いて貼っておいてくださいね」
……心温まる上司と部下の会話(お互い資料検討中)
そういや、この上司の名前覚えるの一緒に組んでから数ヶ月たってからだなぁ…(遠い眼)
先輩は全部「先輩」、仕事場の一番上は「隊長」…よく仕事になってるなぁ(更にと負い目)
ネットの友人は書いてある文章を思い出しながら、名前を覚えたような気が…(脱兎)
もう一つの日誌、そのうち統合しますけどhttp://ryousei.seesaa.net/
ここにてぼーっとかいとります。
2005年1月29日(土) 本当にその解釈であっているのか?
中原の資料を集めまくる癖は、お会いした方はご存知だと思います。一つの事柄を作品ができてから調べなおしたりしているのを、見ている方にはあきれられましたが(苦笑)
資料というのは、作った人の思いが入ります。歴史というのは残った人の視点から見ています。そして制度というのは、使う人によっていいように使われます。国の制度すら。
これが中原の前提です。
例えば露西亜。自分はマリアの父親を[流刑に処されて死の床にいても、なお皇帝に忠誠を誓い続ける]人間として書いています。あくまでその周りにいる重臣が悪なのだと。
学校の教育で、すべてを知った気になるのは誤りです。
己の感性だけで、判断しようとすると誤ります。
先生の言うことが、すべて正しいとは限りません。自分が師と仰ぐ人が、本当にすべてを見通しているのかは保証はできません。
頼りになりますが、頼りきりにはできません。
日々勉強ですねぇ…
やっぱり大正時代〜昭和初期の軍事と司法の資料が手元に欲しい…(苦笑)