「第四区画突破されました! 三番隊だけでは持ち堪えられませんっ!」
「……六番隊から須乃を回せっ」
「りょ、了解!」
今にも泣き出しそうに叫ばれた報告に、大柄な男性は努めて平静を装いながら答える。
花やしき支部ではミカサの管制と平行して、降魔の迎撃が指揮されていた。中心となっているのは風組隊長野分。
聖魔城復活により増幅された降魔の力は、今までとは桁違い。かすみたちを心配させまいとしたのはいいが、実際は熾烈な、……はっきり言って限りの見える戦闘が続いている。
普段は表に出ない雪組まで動員しているのにこの様とは……。
野分は唇を噛む。帝撃の力はこんなものだったのか?
しかしそれも無理からぬこと。聖魔城から飛来した降魔の数は尋常ではない。霊能兵器を持たない陸海軍では、市民の救助活動が精一杯だ。
ドゥンッ!
突然頭上で爆発音が轟き、ぱらぱらと天井が崩れた。ここへ被害が及ぶのも時間の問題だろう。
これまでか。
ふと浮かんだ自分らしからぬ、いや、上に立つものが持つべきではない考えを振り払おうとしたその時、また新たに通信が入った。
「の、野分隊長!」
「今度は何だ!?」
「朱楽(あけら)さんたちが外に……! 止めたんですが、すごい剣幕で……」
「……行かせてやれ」
野分の額にじっとりと汗が浮かんでいる。
「は?」
「いいんだ。彼女たちの力が必要のようだ」
伝達管からは無情にも霊子砲発動の兆しが響いていた。
さらには限界の近づいたミカサの被害状況と、米田の乗員脱出命令。これより三十五名は数機の非常用小型機にて脱出。無事にいけば東京湾に着水することになるだろう。だが一人残った米田は……。
野分はきっと顔を上げ、再び声を張り上げる。
「東京湾で待機中の艦艇に救出願いを出すんだっ」
かすみを始めとするミカサ乗組員たちは、何とか着水できた海上でそれを眼にする。
残忍なる顎(あぎと)を開いた霊子砲。
容赦なくミカサに突き刺さる、吐き出された怨念の塊ともいえる聖魔城の妖力。
機体を激しく損傷しながらも、最大出力で聖魔城へ突撃するミカサ。
そして衝突する直前、地上から身じろぐように立ち昇りその機体を包む、なお眩しく、また神々しい強烈な光。
帝国最強の兵器にして最大の禁忌が、今、霊子砲と激突する!
周りの者は思わず眼を覆ったが、椿は一人それを直視した。
その光景はあまりに圧倒的。あまりに衝撃的。
しかし、彼女はその円らな瞳にすべてを焼きつけようと眼を見開く。
自らが操った巨大戦艦の最期が、少女の眼に、耳に、脳に、押し寄せる!
そして、その暴力的なまでの勢いとエネルギーに、椿の意識は失われた。
道を歩いていた。
どこから来たのかも、どこへ行くのかもわからない。
視界はどんよりとした霧のようなもので覆われ、腕を伸ばした先にあるものさえよく見えない。
(まさかミカサごと突っ込むとはな……)
一度は放った霊子砲諸共、ミカサに激突されたことまでは覚えているのだが、なぜ今こうしているのかがわからない。自分は死んだのだろうか?
ふと足元で、何かぐちゃぐちゃと蠢いているものが見えた。
屈んで眼を凝らしてみると、それは親指ほどの背丈の人影。
どこかで見たことがあると思えば、刹那、羅刹、ミロク、天海、猪、鹿、蝶。それに数多の脇侍に降魔たち……。かつて自分が踏み台にした者たちの姿だった。
皆口々に何か喚いている。どうせ自分への不平でも唱えているのだろう。耳障りな甲高い声に焦れ、立ち上がると、だんっと大きく足踏みした。
小さな人影がその衝撃で宙に浮き、また落ちると、その者たちは悲鳴を上げながら方々に散ってゆく。
「痴れ者どもが……」
ふんっと鼻を鳴らし、いつものように唇の端を歪めようとしたが、顔が強張ってうまくいかなかった。
黒い霧が肺を満たす。
不快ではなかったが、無性に疲れを感じた。
その場に座り込む。額を膝に乗せて蹲ると、いつか感じた女性の温もりが思い出された。
(あやめ……俺はどうなるのだろう?)
あやめが艶然と微笑む。美しい。愛しい。何物にも代え難いほど……。
しかしその姿はふっと消えてしまう。
わかっている。消したのは自分。
(あの男、俺を許さんなどとほざきおって……)
そんなこと自分が一番よく知っている。
だが、一体何に許されないというのだろう。この身が許されぬ存在ならば、それを取り決めたものを滅ぼせばいいだけのこと。しかし……。
(なあ、あやめ……。お前も俺を許さないのか?)
砕け散った硝子が元に戻ることはない。毟り取った花びらが再び開くことはない。
壊してしまいたい。もう二度と還れないのなら、いっそのこと跡形もなく消し去ってしまえばいい。
(あやめ……! 俺は……俺は……!!)
あの人が護りたかった正義……。あの人が護りたかった人々……。
自分が護りたかった街……。自分が護りたかった仲間たち……。
すべてはきらきらと星のよう。いつまでもいつまでも、輝いてゆくのだと信じていたのに。そのために戦ってきたはずのに。
(私、どうなるのかしら……?)
このまま堕ちてゆくのだろうか。結局何をしてきたというのか。
(私はね、大神くん。あなたが、そして皆が眩しかったの)
醜いもの、汚いもの、嫌になるほど見てきた自分を、帝撃の面々は慕ってくれた。こんな女だてらに偉がってきた自分についてきてくれた。
(ごめんね……。その皆を残して私は死ぬのね。そしてあの人は……)
彼を忘れられなかった代償だろうか?
思い出が消え去ることなどないと、その精彩が欠けることなどないと信じていた。でも、それもまやかし? 色褪せた幻想?
(嫌よ……。そんなの嫌よ……)
迷惑ばかりかけて、世界を破滅へと導いて、あの人も救えずに……。
眩しい青年と少女たちと大勢の仲間たち、そして一人の哀しい思い人の顔。
今まで積み重ねてきたこと。そのすべてをこの手で崩すのか。
(嫌……! 私にはまだやるべきことがあるのに……!)
「ならばお前に力を与えよう」「ならばあなたに力を与えましょう」
「お前の闇を食らい尽くすため」「あなたの光を見届けるため」
「お前の絶望を糧として」「あなたの希望を源として」
「今こそ甦らん」「今こそ甦りましょう」
「我が名は……」「私の名は……」
そして、呼び合う光と闇とが交錯する。
逆立つ黒髪の青年は刀を振るう。
神などという、人知を超えたものの意思など関係なかった。
たとえどんな形であれ、彼は一人の女性のために戦った。
彼女の庇護のもと、彼女の意志のために。
やがて彼は英雄と呼ばれるようになるだろう。
だがそれは彼の力だけではない。彼を支え、共に戦った六人の少女たちと、多くの仲間たちがいたからこそ。
そして、白き翼を持つ者と黒き羽を持つ者ではなく、尊き姉と哀しき天才の存在のもとに。
白狼が唸りを上げる。
天を翔ける咆哮は暗雲を吹き飛ばし、そして空には光が戻った。
『ありがとう、大神くん……。あなたに逢えて……嬉しかった……』
……眩しいね。
でも、嫌じゃないわ。
光にこんな安らぎを得たのは随分と久し振りな気がする。
そうね、きっとあなたがいてくれるからね。
ねえ……私、ちゃんと知っているのよ。
あなたはとても優しい人なんだって。ぶっきらぼうな振りしているけれど、照れ屋なだけなんだって。
そっぽを向いたって駄目よ。ほら、赤くなった。
ねえ……還りましょう、あの頃の私たちへ。
もういいじゃない、私がわかっているもの。
あなたの痛いほどの正義感。それゆえに嘆く無力感。
私がわかっているもの。
あなたは闇に魅入られた。私はあなたに魅入られた。
護るための力を求めて。捨てられない想いを求めて。
でも、もういいじゃない。
私はほら、こうしてここにいる。大切なあなたの隣に。
だから還りましょう、真之介さん。
この、光の中へ。
-了-