桜随想

第1回 花組副隊長(1)

掲載:2000-05-18

花組の少女たちは大神に支えられていると同時に、彼の、延いてはプレイヤーの支えでもある。ヒロインであってもなくても、彼女たち一人一人の存在に救われてきた経験は、誰しもあることだろう。

しかし、華撃団としての任務の上で大神を最も支えられるのは、マリアではないだろうか? 戦場での知識、的確な助言、大局を見る視点、一歩引いた態度……。副官的な役割は、彼女のキャラクターを語る上で外せない。今回はその魅力を堪能できる、筆者が指折りに好きなイベントを紹介したい。

1の第七話。六破星降魔陣の発動によって倒れ、医療ポッドで眠り続けるさくら。あやめとの会話後、花組にさくらの容態を訊かれるLIPSがあるが、ここは「質問をはぐらかす」を選択したいところだ。(スケベ目カーソルを出している場合じゃないぞっ)

LIPS
本当のことを伝える。質問をはぐらかす。[選択]/陽気にふるまう。
大神
心配いらないよ。ケガはまったくないんだ……。今は眠っている。
紅蘭
ケガもないのにあの「医療ポッド」使うとるの? おかしいで、ソレ。
すみれ
頭を打ったのではなくて? もし、そうなら大変ですわ。
アイリス
……お兄ちゃんさくら、ほんとに大丈夫?
大神
だ、大丈夫だよ……。眠って起きたら、元気になるよ……。
マリア
…………。……そうですか。わかりました。
……みんな。さくらのことも心配だけど作戦会議が始まるわ。

このLIPSで信頼度が上昇するのは、この選択肢の際のマリアのみ。捲くし立てる花組を心配させまいとする大神。その意図を彼女だけが汲んでくれたと理解した時、じわりと喜びが広がった感覚をよく覚えている。

花組の少女たちには、常に精神的に助けられている。しかし、人間としてではなく「花組隊長」の大神をサポートするのは、マリア以外にいないのではないか。贔屓目が入ってはいるのだろうけど、そう思う。


第2回 花組副隊長(2)

掲載:2000-05-25

「隊長の補佐役」
「大神が配属されて花組がまとまり始めると、彼をサポートする影の役目に回った」
「今でも補佐的な立場にあり」
「大神の入隊後は、隊長のサポート役として活躍することになる」
「大神少尉を補佐し、戦場での戦いのなか花組をまとめるのが副官的立場であるマリア隊員だ」
「常に花組のサポート役を務める」

設定資料集、公式ガイド……数ある関連書籍を紐解いてみても、そこに「副隊長」の文字を見つけることはない。唯一の例外は「攻略花暦上巻」(講談社発行)19ページ「花組副隊長としてメンバーをまとめていく立場にあるマリア」という記述くらいだった。しかしセガ、レッドの協力だけで、監修を受けていないため、公式なものであるとは考え難い。

「花組副隊長マリア・タチバナ」はオフィシャル設定ではないのだろうか? ファンの間では二次創作の中で使用されたりと、認知度が高い設定のようではある。しかし、2発売前に帝劇三人娘が風組だと言われていたような(もっともこれは公式側からも「噂されている」等との記述があったが)、飽くまで非公式なものなのだろうか?

しかし、だ。灯台下暗しとはこのことか? 他でもないゲーム本編で、マリアは「副隊長」と呼ばれていたのである。

前回と同じく、1の第七話。さくらが目覚め、いよいよ日本橋は黒之巣会本拠地に乗り込もうとする際、同行する隊員を3人選ぶイベントがある。プレイヤーの好みや機体性能など、選択基準は様々だけど、ここはマリアに残ってもらうことにしよう。

花組全員
帝国華撃団、参上!
マリア
隊長! 後ろからも敵です! ここは二手にわかれましょう!!
大神
よし! 三人は俺と一緒に突入! 残りの三人にはここで敵をくい止めてもらう!
マリア
隊長。最後の戦いには私も同行させていただきます。
LIPS
よし行くぞ、マリア。きみはここに残ってくれ。[選択]
大神
マリア、君はここに残ってくれ。副隊長として、ここでの戦いを指揮してほしいんだ。
マリア
……わかりました。私はここに残ります。
だけど、隊長……必ず……必ず無事に……。

毎回何の迷いもなく同行してもらったり、彼女のLIPSが発生する前に決めてしまったりしていると気づきにくいところかもしれない。(実際、筆者は前者の理由のため、初プレイから1年ほどは知らなかった)

1、2他関連ソフトも含めて「副隊長」という言葉が出てきたのを、筆者はここ以外に見ていない。設定にかなり統制のとれた2に比べ、1はアバウトな面も多いとはいえ、ゲーム中に表されているのだからこれは立派なオフィシャル設定ではないだろうか?

ところでこの肩書き、TV版ではどういった扱いになっているのだろう? 細かな設定好きとしては新しい情報を得られないという面でも、未放映地域在住は辛いものがある。

手元にある関連書籍を調べてみましたが、見落とし等あるかと思います。ゲーム、書籍問わず「ここにもあったぞ」という情報がありましたら、教えていただけると大変助かります。


第3回 花組副隊長(3)

掲載:2000-06-01

なぜマリアは副隊長であると表立って言われないのか。その理由を考えてみたい。なお、第1回第2回からの続きとなっているため、未読の方は先に眼を通していただければと思う。

1.帝撃各隊には副隊長の役職がないため

これはちょっと考え難いのでは? 何かあった時に備えるのは組織として当然だろう。現に副司令はれっきとして存在するのだし、隊長の不在やいざという時のために、代理となる人物を決めておくのは必要なことのはず。

2.他の隊員との差別化を防ぐため

そう、つまり……大神に雑務をすべて押しつけるために違いない!(ええっ!?)

キップのモギリに伝票整理、夜の見回り、舞台の修理……。花組隊長としての仕事(本当か?)は山とある。ふう、大変だけど仕方がない。何せ自分は「隊長」なのだから。ん、そういえば……。
「マリア、君は副隊長なんだから少しは手伝ってくれ」
「いいえ、隊長。私はただのヒラ隊員に過ぎません」
……こんなのマリアじゃないやいっ(T_T)

……失礼。今度は真面目に。副隊長とすることによって、他の隊員との差別化……言わば特別扱いになることを避けているのではないだろうか。隊員たちに優劣をつけてはいけない。そこに権力意識のようなもの(もっともマリアはそれを翳したりはしないだろうけど)を感じさせてはならない。

確かにあまりに強調するばかりでは、サクラの核である「唯一の男性である隊長と、彼に信頼を寄せる少女たち」という構図を崩すことになり兼ねないし、あやめやかえでの役割と被ることも出てくるのでは? また、マルチシナリオ要素を持つゲームだけに、選択肢の固定化(例えば分隊する際に、マリアは必ず別働隊になる等)を避けるというシステム的な面もあるのかもしれない。

外見や性格づけだけではなく、どんな役割を持っているか。それがキャラクターを形作るものだと考えている。マリアの、隊長を補佐する副官的な立場。そのキャラクター性をさらにわかりやすく伝えるためにも「花組副隊長」という肩書きを明文化してほしいとは思う。

しかし、さり気なく大神を支えてくれる彼女の役割。その魅力はちょっと気をつけてプレイしてみれば、しっかりと伝わってくるものだ。マリアはマリア。あまり肩書きに拘る必要はないのかもしれない。


第4回 副司令の眼

掲載:2000-06-08

第三話で気を失った際に受けた介抱、このために通ったプレイヤーも多い戦闘評価、そして第九話で読むことのできる日記……。あやめの部屋での数々のイベントは、どれも印象深い。今回はその中でも、発生条件から少し見つけ難いかな、と思われるイベントをご紹介。

1の第三話、ロビーでマリア、かすみと話した後の1回目の自由行動。初めて入ることのできるあやめの部屋。第二話の戦闘評価の後、花組の話になる。(戦闘評価を聞かなくても発生) 話題になるのは、この時点で恋愛度がトップの隊員。前話の影響で、紅蘭が花やしきにいたことを聞く場合が多いと思うけれど、未登場のカンナを除く5パターンが存在する。

筆者お薦めはマリア。彼女がメインとなっている第三話のストーリーとの関連もあり、押さえておきたいイベントではないだろうか。

あやめ
ああ、そういえば……。
大神くん……マリアのことなんだけど。
大神
マリアのこと……ですか?
あやめ
マリアは……あなたが来るまでここの隊長だったの。
大神
…………。
あやめ
戦闘指揮に関していえばマリアは他の隊員よりずば抜けて優れている……。 それはあなたが一番良くわかっているはずね。……大神くん。
大神
はい……。
あやめ
でも……あの子にも悩みがあるわ。あるいは他の子よりずっと深い……。
大神
それは……?
あやめ
それは……自分で聞けるようになることね。
大神
そ、そんな〜!
あやめ
ふふ、これは……私からの宿題ってとこかしら。
大神
は、はあ……がんばります。

大神、そんな情けない声を出している場合じゃないぞ! マリアの心の扉を開き、過去の呪縛から解き放つのは君しかいないんだ!!(暴走中)

……しかしこのイベント、なかなか発生させるのが難しい。(この時点でマリアが恋愛度トップというのは、隊長として問題がある気がしないでもないが) 「他の娘の信頼度を下げるのは嫌だ!」という方は、デバックモードで試してみてはどうだろうか。なお、これはセガサターン版のみ有効。

  1. スタート画面を放置した後、SEGAとREDのロゴが出ている間に「LR上下左右ACB スタート」を入力。成功すると信頼度上昇の効果音が鳴る。
  2. 演目選択画面で「上上下下左右左右 LRLR」を入力。
  3. 信頼度を調整した後、アドベンチャーの205からが最短。

他の隊員のパターンも、あやめの彼女たちへの理解や想いを覗くことができる、いいイベントだと思う。それだけに、発生条件の難しさは少々勿体ない気がする。


第5回 OVAに見るサクラ観

掲載:2000-06-29

サクラはやはり極上のエンターテイメントだ。先日発売された、OVA轟華絢爛第四幕「人情紙芝居・少年レッドよ永遠に」を観て、改めてそう感じた。そんなわけで筆者はご機嫌なので、今回は予定変更、第四幕の感想を書いてみたい。当然ネタばれ全開なので、これから観ようという方はご注意を。

何はともあれ、主役コンビの掛け合いが素晴らしい。織姫のきつい突っ込みと、紅蘭の一人漫才。ゲーム本編でのこのコンビは第六話の台風イベントくらいだろうか。こういった新しい組み合わせ、そして新しい魅力に出会えるというのも、関連作品の楽しみの一つ。きちんとお約束を果たしてくれた「ばくはつくん」……じゃなかった、「つたえてくん」には思わず「偉い! 偉いぞ、紅蘭!」と拳を握ってしまった。

人物描写もよく出来ている。織姫の緒方を想う一途さ。それゆえに我を張ったり、長屋を守ろうと立ち向かったり、蓄音機の仕返しをしてみたり……。そんな彼女らしさが微笑ましい。

戸惑っていた紅蘭が、子供たちの眼差しに応えようとする場面には胸を打たれた。彼女は場の空気を読む。自分に求められている役割を果たそうとする。普段はひょうきんな笑顔の下で行われるそれを今回は赤い仮面に隠して、何より彼女自身が演じることで救われていたように思う。

一度なり切ってしまった後のノリのよさは、さすが紅蘭! また、ドクロX、そしてドクロ四人衆が次々と登場するシーンの高揚感は格別。「悪の手下その一」というオチまでついて、見事なまでのサービスぶりだ。

確かに、第四幕に限らずどうしても「そうじゃないんだ〜!」と思うことはある。突っ込みを入れ出したら切りがない。

どうも轟華絢爛シリーズでは夏服を描きたいらしく、舞台を夏に持ってくることが多いようだ。それは第二幕では効果的に描写されていたけれど、今回は特にそう感じることはできなかった(朝顔くらいかな?)。そればかりか「太正14年夏に織姫が緒方とラブラブ」という、無視できない本編との食い違いも出てくる。どうして別の時期にしないんだろうと、これはかなり引っかかってしまった。

また、前述のドクロ四人衆も、ドラマCD「ラジヲドラマ・少年レッド」を聴いていない人にはわかり辛い面は否めない。多様化したファンにどう対応してゆくのかというのは、難しい問題だろう。

しかしこの第四幕は、そんな細かいことなんて吹き飛ばしてしまう魅力が溢れた作品だ。子供たちに熱く語りかける紅蘭を見つめ、役に扮した花組の活躍に手を叩き、夕陽を背に去る面々を緒方と共に見送る……。コメディあり、シリアスあり、やはりサクラはこうでなくては。

予定調和? 大いに結構。「古典的お約束」に彩られた、素直に泣き、そして笑うことのできるエンターテイメント……それが筆者のオフィシャルに望むサクラ大戦なのだと、再認識させられた30分間だった。

では最後に、今回一番ヒットした台詞を。
「必殺! パパの蓄音機よ、永遠にっ!!」


第6回 素直になりきれなくて

掲載:2000-07-06

さくらの紹介に「普通っぽさが魅力」という表現が出されることがある。普通の定義はともかくとして、表情豊かで親しみ易い年相応の少女と、魔を狩る破邪の血統を背負う宿命……。その二面性は印象深く、また、サクラ大戦の根底にも関わってくるのではないだろうか。

一途で筋の通った、素直な性格のチャームポイントともいえるのが、少々(?)「意地っ張り」なところ。もうひとつのポイントである「やきもち焼き」と合わせて、優等生型ヒロインとは異なる魅力を出していると思う。

今回取り上げるのは、そんなさくららしさが優しく伝わってくるイベント。2第二話、2回目の自由行動。大道具部屋でサキといるところを見つかった後、さくらの部屋まで追いかけるとタイミングLIPSが発生する。

T-LIPS
事情を話す。(空白)無理矢理ひきとめる。[消滅][選択]
大神
さくらくん! 俺の話を聞いてくれ!
さくら
何ですか、大神さん! 無理矢理、袖をつかんで!!
大神
さくらくんには、本当のことを聞いてほしいんだ。
道具部屋でサキくんと一緒にいたのは、彼女から相談をされたからなんだ。
相談の内容を言うわけにはいかないけど……やましいことじゃない。
その後、サキくんが転んでしまったので、ついていてあげたんだ。
その……何もなかったんだ。それは、信じてくれ。
さくら
…………。
……ありがとうございます。あたしも、本当は大神さんを信じてるんです。
でも、あたし……まだ、素直に笑えそうにないんです。
大神
さくらくん……。
さくら
だから、大神さん……今日は、失礼させてください。
でも、明日になったら……きっと、素直に笑えると思います。

本当はわかっている。本当は信じている。でも、啖呵を切ってしまった勢いと、気まずさと、意地っ張りな自分が、それを認められないでいる……。きっとさくらは部屋で独り、大神に謝罪し、感謝し、そして素直になりきれない自分を、少し嫌悪したのだろう。

不安定な少女らしさを愛しく感じ、感情移入することによってとても親近感を持てたこのイベントは、数ある彼女のそれの中でも大切な思い出になっている。


第7回 キャラと声優さん(1)

掲載:2000-07-13

最近発行された、季刊「テイゲキグラフ サクラ」夏号のグラビアを眺めていたら、ゲームキャラクターとその声を担う声優の関係についてぐるぐると考え出してしまった。そこで今回は一ファンとしての呟きを書いてみたい。

なお、普段アニメを見ないため、はっきり言って声優に関する知識がない。CD-ROMをメディアとしたハードが普及し、声優を前面に出したゲームが珍しくなくなってからようやく、「このキャラとあのキャラの声は同じ人なのか」くらいに名前を覚え始めた程度。

そんな筆者はサクラに接する際、ゲーム中で台詞やCDで歌曲を聴いている時に、声優の存在を感じることはない。意図的に考えを及ばせない限りは。裏方としての存在を意識させず、自然に接せられるということは、それだけサクラが声優陣に恵まれているということなのかもしれないが。

さて、多様なメディアに展開されたサクラの特徴に「各キャラクターになりきった声優が登場する」というものがある。ファン以外にも認知されてきたこの独自の世界。初期に比べれば衣装や化粧が向上し、かなり自然になってきているとはいえ、筆者はどうしてもゲームキャラクターとは同一視できないでいる。

たとえゲームとまったく同じ台詞を口にしても、そこにいるのはゲームの登場人物ではない。その格好をした声優になってしまう。一部で揶揄されるような「引き」を感じることはないものの、モニターの向こうにいる二次元の姿こそ(筆者の場合突き詰めてゆくと、1のグラフィックに限定してしまうのだが)、サクラ大戦の登場人物であると認識しているのだろうか。冒頭のグラビアを見ても「あっ、さくらくんだ」ではなく、「あっ、横山さんだ」になってしまう。

そうそう、ひとつ断っておくと、筆者は歌謡ショウは別物だと感じている。身長ネタなどの箇所では薄れてしまうものの、あの独特の空間でだけは声優ではない、サクラワールドの住人たちそのものがその存在を覗かせる。雰囲気に浮ついていると言われればそうかもしれないけれど、あれはビデオや写真では味わえない、本当に魔法のような空間なのだ。

声優が前面に出てくることが嫌なわけではない。インタビュー記事等を通して親近感さえ感じている。巧みな声優の演技はゲームにおいて非常に重要な要素であるし、また、それなくしては筆者もここまで入れ込むこともなかったかもしれない。彼らの存在なしではサクラは成り立たないと言っても過言ではないだろう。

しかし、登場人物そのものと同一視すること。その善し悪しはともかくとして、これからもできないのではないかと思っている。


第8回 キャラと声優さん(2)

掲載:2000-07-20

今回は声優に関連して、ゲームにおける音声の話。それについて少し注意書きを。筆者は「キャラクター」と「登場人物」を別けて捉えているけれど、今回はキャラクターに関する話ばかり。お気に入りの登場人物が物のように言われることを許せない方は、ご遠慮いただきたい。

キャラクターとは記号の集合体だ。髪や瞳の色、形といった外見、性格付けや(その世界の中での)社会的な立場、それから物語の中で与えられる役割……。それらの組み合わせによって形成される架空の人格。(そこに人間性を感じられた場合、彼らは登場人物になるのでは?)

その記号のひとつにボイスが含まれることは珍しくなくなった。最初から音声オフにしない限り、各声優の声がそのキャラクターの声、と記憶される。逆に、音声演出のないゲームでは当然ボイスは記号に含まれない。

プレイヤーが補っていた、キャラクターの声質、台詞の言い回し等まで含めて、製作者はパッケージ化して提供することができるようになったということ。もっとも、声優のネームバリューなど、キャラクター考案者以外の意向で決められることも多々あるのだろうけど。

別ハードへ移植されたゲームをプレイした際、リメイクとして付け加えられたボイスに激しい違和感を覚えたことがある。同じ声優が声を当てているキャラクターに接し、その世界に入り込むには邪魔な雑念に囚われてしまったこともある(EVEの真弥子とサクラの織姫がこれだった)。

筆者はゲームにおける音声の演出を、必ずしも歓迎しているわけではない。しかし、その生みの親が思い描くキャラクターについて、より多くの情報を得、より正確に受け取ることができるという面では、重要な要素だと考えている。


第9回 サクラとの出会い

掲載:2000-07-27

筆者が初めてサクラ大戦(1)をプレイしたのは、1997年7月26日。昨日でちょうど3年が経った。

発売前からタイトルは耳にしていたものの、女の子を率いて戦うという内容から、失礼ながらちゃらちゃらとしたゲームかと思っていた。しかし、他のゲームの攻略情報欲しさに買った雑誌、電撃SEGA-EX(現電撃Dreamcast)。当時連載されていた「サクラ大戦前夜」を読んで思わず声を上げてしまった。

「サクラ大戦ってこんなにシリアスなゲームなの!?」

何せ、折しもその号に掲載されていたのは「ニューヨークのマリア 完結編」だ。雑誌紹介で露出される可憐な少女たちと、血と硝煙に塗れた深刻なストーリー。ギャップに驚くのも無理はなかったのかも。俄然サクラに興味が沸いた筆者がソフトを購入したのは、それからしばらくしてからのことだった。

そんなわけでマリアはきっかけであり、プレイ前から気になる存在だったのだが、もうひとつ彼女が果たしてくれた役割がある。

いつ感じても心地よい、新しいゲームを始める際の期待感。そして流れ出す、今となっては過ぎるほどに耳に馴染んだ檄帝イントロ。ほんの数分のオープニングの、ほんの数秒の1シーンを、筆者は忘れることができない。あの洗練された、あるいはストイックな格好よさは他の娘には出せないだろう。本当に、すごく好きなシーンだ。そう……。

吹雪の中に佇む黒衣の麗人。振り返る、白く硬い顔。きつく結ばれた口元。翡翠の瞳が開かれ、その視線と銃弾に射貫かれた時から、筆者のサクラ大戦は始まったのだ。


第10回 サクラの定義

掲載:2000-08-03

「何を以ってサクラ大戦とするのか」

サクラ3やTV版など、サクラに対する批判的な意見を耳にすることも多いが、それはこんな風に考える機会でもある。一体何を基準としてサクラをサクラであると捉えているのだろう? また「別物」であると判断するのだろう?

キャラクターの姿形が同じならいいのか、勧善懲悪の物語ならいいのか、それとも霊子甲冑や降魔が出てくればいいのか、はたまたゲームと矛盾がなければいいのか。音楽、世界観、スタッフ、メディア……無数に存在するサクラを形成する要素。そのどれを重視するのか、あるいは必要不可欠とするのか。

一般論になってしまうが、それは個人個人によるものが大きく、それぞれが感じるサクラの魅力とも密接に関係してくるのではないだろうか。

例えば、登場人物の内面に惹かれた場合、その性格が違っていたら受け入れ難いだろう。また、太正浪漫といった時代設定に魅力を感じているのなら、現代を舞台にしたパラレル等には興味が沸かないのでは? 個別に見ればどんなに優れた作品であったとしても、サクラの冠を頂かせることへの抵抗を覚えてしまうこともあるかもしれない。

その定義は、関連作品等の新たなサクラワールドや、ファン同士の意見交換など別の価値観との出会いによって、変化し続けてゆくのだろう。拘りを持って臨むもよし、柔軟に構えて楽しむもよし。供給されるものすべてを受け止めようとする必要はない。

恐らくサクラに触れた人の数だけ存在するであろう、それぞれのサクラ大戦の世界。互いの世界を尊重すると同時に、それを大切にしてゆけばいいのだと思う。