またの名をサイリューム講座(自爆)
なんだかとってもさぼってましたね(^^ゞ
ブライダルショウとか、花組プレビュウとか…書きたいことは
いっぱいあったんですが…なんだか今年に入ってどうにも忙しく
溜まりきってしまいました…これらについては機会があれば
書いてみたいと思いますが、本当はここはまずアニメの話を書くつもり
だったのだが…どうにも釈然としないものがあったので先に今年の歌謡ショウ「アラビアのバラ」での
思ったことを書いてみたいと思う。
ご存知の方もいらっしゃるだろうが、この歌謡ショウの時期に私は本家SEGAのBBSデビューを
果たしてしまった。本当はもっといいことでデビューしたかったんだけどね(^^ゞ
それもはっきり言って苦言でした。それというのも歌謡ショウでサクラファンになることを
決定づけられたものとしてどうしてもガマンが出来なかったから。
それこそがサイリュームというやっかいな奴なのである。
サイリュームというのは化学反応で光る蛍光色のペンライトみたいなものです。
以前はそんなに明るさはなかったのですが、最近は大きさも、明るさも
様々なものが出ています。
恥ずかしながら、かくゆうこの斎藤も数年前までは足に車つけたアイドルの
コンサートで何度もサイリュームを振っていた人間だったりします(^^ゞ。
いい歳して振っていた理由はただ1つ。『きれいだから』
そう、本当にきれいなんですよね。私もはっきり言って横浜アリーナでその
地上に落ちた星のような光を見たときそう思いました。
そして、私もその星の1つになりたいと思ってそれで振っていたんです。
それから、何年かいつもコンサート前になると何本も買い込んでは会場に向かってました。
サイリュームやペンライトを振っている手はコンサートに
熱中していくうちに少しでも舞台上のアーティストに
アピールしようとどんどん高くあがっていくものです。
当然といえば当然のことです。そして、サイリュームが広まると今度は
よりアピールするために大きなもの、光源の強いものへと移行していく人が増えていったのです。
しかし、ある時から個人活動が増えて会場が大きなアリーナ会場からホールへと変わると
事情が変わってきました。
広いアリーナ会場ではあんなに綺麗だったサイリュームやペンライトの光は
コンサートを見るためには余計な光源でしかなくなっていたのです。
私自身、前の席の人のサイリュームが邪魔でお願いして下げてもらったことは
数知れません。それは私だけではなかったようで、次第にサイリュームを使用する人は
減っていきました。なにより自分が見にくくなっていったからに違いありません。
しかも、それではいくら綺麗だからとはいえアーティストにとっても喜ばしい
ものではないはずだ。それこそ本末転倒だと思ったからだとおもいます。
それでもサイリュームを振りたい。という人たちの気持ちを無視するつもりは
ありません。ただ、このサイリュームという一見綺麗な光源が
ステージを見るためには邪魔なものであるということを認識して欲しいのだけなのです。
そして、1度成功するとどんどんエスカレートしていくということも。
しかも、今回声を上げたことで私も新たなことを知りました。
それは意外にも身近な友人によってだったのです。
それはサイリュームは時として凶器になるということでした。
友人は目が弱く、暗いところで明るい光源がちらちらとすることで
刺激され、気持ちが悪くなったり、ひどくなると目に激しい痛みが走り
目を開けていることもできなくなる光過敏症だったのです。
今回、振られることがわかったのでその話を聞いた私たちは
サングラスを用意したり自衛手段を行いました。
主催の方はなるべく上にあげないようにするといってくださいましたから
こちらもなんとか切り抜けられればという処置だったのですが…。
実際にはサイリュームが配られたため、計画参加者ではないひとも多く
そのような注意がわかっていなかったためか、無軌道に振られてしまったのです。
綺麗でした。確かに。
しかし、そのとき友人は身動きがとれなくなっていたのです。終演後も目も開けられず。
気持ちが悪くなり座席から立てなくなっていたのです。
そんな友人をスタッフのみなさんには大変よくしてくださいました。
そのことにはとても感謝しています。本当にうれしかったし、
これだから「サクラ」はやめられないとも思いました。
しかし、丸2日経った現在でも友人は目に痛みや違和感を感じて
モニターをまともに見られない状態です。
これは友人ひとりだけのことだったのだろうかと。
あの千秋楽のお客さんの中に、友人ほどではないものの
具合の悪くなった人は本当にいなかったのだろうか。
具合が悪くなくてもその光が邪魔だと思った人はいなかったのだろうか、と。
私はサイリュームを振るなと言っているわけではありません。
それは振りたいという自由もあると思っているから。
しかし、振っている人は振られたくない人のことも知らなければならないと思うのです。
そして、周りの人から「振らないで欲しい」と言われたら
気持ちよく辞められるようであって欲しいと思っています。。
そのような心構えがあってなら、私はサイリュームの使用について
異存は全くないのです。
果たしてこのような事実を知っても、サイリュームが綺麗だった…
と言えるのか。感動的だったなどと手放しで言えるのか。
私は聞いてみたいのです。
それとも、このような人は千秋楽を見に行くなということなのでしょうか?
あのすばらしい舞台に同じように感動したひとりとして
そのようなことはないと信じたいです。
今回はとびきり重い話ですみません。
どうしてもこれだけは書いておきたかったのでね(^^ゞ
次回はちゃんと舞台の感想書きます。