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風定-かぜさだめ-

「ほたる?蛍?」
 遠くで、誰かが呼ぶ声がする。
 暖かい、心待ちにしていた声。

「なあに?とうさま?」
 姿の見えないその声に、私は笑みを返す。
「蛍は、あの世界が好きかい?」
 姿のないその人は、ゆっくりと眼下にある、山並みを指さした。
「ええ、とうさま達が作られた世界だもの。大好き!」
 じゃれつくように腕を伸ばすと、すっと頭の上に掌が載ってくる。
その手から、喩えようもない悲しみが伝わってきた。

「…あの世界はね、もう終わりなんだよ。あまりにも汚れすぎてしまったからね」
「とうさまたちが闘ったのに?」
「そうだよ。確かに戦いには勝ったが、遠く隔ててしまったのだよ」
 その言葉と掌から伝わる悲しみに、涙が止まらなくなりいつの間にか叫び出す。
「そんなの…私は、ここから見てたよ!いろんな人が嬉しそうにしてるの…確かに、悲しんでる人も多かったけど…あんなに幸せそうな人たちを見捨てるの?」
 信じられなかった。ここよりもずっと幸せそうに生きていてる世界が汚れているなんて。
「とうさまだって、あの世界を愛してたから悪い人から護ったんでしょ?なのに手放すの?」
 泣きながらくってかかる。
 側にいるその人は、私を抱きしめるように包んでくれた。
「ああ。だがな、蛍。もしかしたら、私たちは間違った選択をしたのかも知れない」
 安心させるように頭を撫でてくれる感触に、少しずつ落ち着いてくる。
「間違った?」
「ああ、そうだよ。闘いに気を取られて、一番大切なことを忘れていたのかも知れない」
 疑問に思った事を口に出すと、その答えがすぐに、だがゆっくりと聞こえてくる。
「なら、その通りにすれば良いんじゃないの?そうすれば助かるんでしょ?」
 その抗議を口に出すと、やはり悲しみしか伝わってこない。

「彼らは、私たちとの接点を無くしてしまったのだよ…」
「彼らは深いところに囚われてしまった。私らの手の届かない場所にな…」
 彼の人がそう空気を振るわせて音を作ると、そのまま消え去ってしまいそうな心細さがわき起こる。
 たまらず、その存在を確かめるように抱きついた。
「とうさまは、本当はあの世界をまだ愛してるんでしょ?だから、そんな悲しい顔をされるんでしょ」
 彼の人の顔を見ることなど出来ないはずだが、なぜだかせつない。多分、この空気には、彼の人の感情が込められているはずだ。
「助けてあげられないのは、とうさま達が手を貸せないからなんでしょ?あの人達が私たちに歩み寄らなければ助からないって事なんでしょ?」
 自分でも思いもしなかったことが、口から出てくる。
 もう、止めることが出来なかった。
「だったら、私が行く!人になって、私が伝えてくる!」
 気がつくとそんなことを叫んでいた。涙と共に自分の想いが溢れていく。
「数え切れないほど、時がたっても…とうさまがここを捨てられないなら…私が代わりに負うから…」
「禁忌なのだぞ?…それは…それでもいいのか?」
「うん。あの世界には、私の憧れてるものがあるから」
 あの世界と触れるのは、第一級の禁忌。選ばれたものしか許されないものであった。
 しかし、このまま見ていることは出来ない。
「…全て事が終わるまで、つながりが消えるのだぞ?」
「うん…でも、全て忘れても…とうさまの愛、きっと感じてると思う…だから…」
 その決意を確かめるように、彼の人の気配が、私を一瞬包んだかと思うとそのまま消えた。
 私は、しばらくそのままその場に立ちつくしていた。

 しばらく後、普段入ることを禁じられている神域に足を踏み入れていた。
 普段、気配だけで感じている彼の人の前に立つために。
 足を踏み入れると、空気が緊張しているのがわかる。
「来たな?」
「…」
 無言でその場に伏せる。それを確かめるように、他の人から勅令が下る。
「御剣の使者として、地上に降り立ち、[守護者]との縁を結び直すよう。地上にある間は力を使うことを禁ずる」
 その命を受け、もう一度深々と頭を垂れた。
 それと同時にあたりがざわついた。御簾の後ろにいた人物が、人払いを命じたせいだ。
 人々が消え去ると、一人こちらに動く気配がした。
「とう…いえ、お方様…」
「よい。良いか蛍。お前はお前らしくな…お前の想いが…」
 その後の台詞は聞き取れなかった。わざといわれなかったのかも知れない。
 世界の主ではなく、包んでくれる父としての言葉なら、それで十分だった。

「それでは、儀式を執り行います」
 その一言で、現実に引き戻された。いつの間にか御簾の先に戻られた彼の人に一礼をし、その場を立ち去る。
「蛍…お前を贄に出すことを許してくれ…」
 遠くで哀しそうな声を聞こえたような気がした。


後書き

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