不香の花 -前-
        扉前地下倉庫不香の花
   
暖かい場所、暖かい腕。望んでも手に入らなかったもの
今、手を取ったら、もう離れることは出来ない

だめだよ おまえは放浪者 安住の地など与えられていない
安らげる場など ありはしない


愛しいよりも、大切とかよりも、もっと特別な場所にいる人。
貴方が見えるところにいるだけで、幸せなはずなのに。

言葉で縛ろうなんて 高望み過ぎないかい?

縛られるのは慣れている。

彼の人は 自由でなくてはいけない

そう…自分の言葉で縛ることが出来るのは、自分だけ。

 

- 1 -

 二つの影が一つに重なる。
 寝苦しさから介抱されるために、上着を羽織って中庭に出ようとしたマリアがその光景を目にしたのは、もう夜半をかなり回っていた。
 二人とも自分のよく知る人物。一人は敬愛してやまない人物。そしてもう一人は自分によく似た感じの銀の髪の少女だった。

 

- 2 -

 レニが心を取り戻してから、まだあまり経っていない。
 今まで与えられなかったものを取り戻させようと、帝劇のメンバーが何かにつけてレニの方を向いていた。
 その中でもマリアのレニへの接し方は特別に見えた。自分の帝劇復帰後から何かにつけて、以前の自分を見ているようだと言いながら、彼女の傍らに付き添っていた。
 それが水狐の一件があってから、マリアの方から大神にレニに対して接するように要請し、最近は気が付くと大神がレニの傍らにいるようになり、その二人をフォローするように少しひいたような感じでマリアがいるようになっている。

「なぁ、マリア。このままだと隊長、レニの奴にとられちまうぜ」
「隊長が良ければ、その方がいいんじゃない?」
 サロンで談笑しているレニと隊長を眺めていると、からかい半分のカンナの声が降ってくる。
 興味が無いかのように、カンナに視線も合わさず惚けたような台詞を返すと、カンナの慌てる感じがダイレクトにマリアに伝わってきた。
 別に訓練を積んでいた訳ではないが、幼い頃から綱渡りのような生活を送ってきたマリアには、相手の感情を読みとる術に長けている。
 表情だけではなく、いろんな仕草にもそれが現れるのだ。
 だから解る…隊長がレニをどんなに大切に思ってるか、それがレニにとってどんなに大きなものか…以前、自分も隊長に与えて貰って…

「何言ってるんだよ、一年間待っててそれでいいのかよ」
「…何が?」
 …何だか胸が痛い。
 そんな自分の気持ちとカンナを誤魔化そうと、素知らぬ振りをして聞き返す。
「約束したんだろ?戻って来るって。待ってたんだろ?」
 カンナは先の大戦が終わった後、大神と別れる前に桜の木の下で交わした約束のことを言ってるのだろうか?
 そう言えば前に、漏らしてしまった様な気がする。
 確かその日は冬の寒い日で…あやめさんのいなくなった日からちょうど一年。
 どうしても一人に耐えきれなくて、訪ねてくれたカンナにあやめさんとの話を少しだけ話した。
 いつもは人の話を最後まで聞かないカンナが、マリアの話が終わるまで何かを考えているかのように一言も口を開かないで、終わった途端に一言だけ。
「隊長はなんて言ったんだい?」
 マリアが大神に同じ話をしているのがさも当然だという顔をして、そう聞いてきた。
「きっと戻って来るって。花組隊長として戻れなくても大神 一郎として戻って来るって」
 そう答えると安心したかのように、カンナは笑ってマリアの頭を優しく撫でる。
「そうか、それなら安心だな」
 そう笑いながら言ってくれたことを思いだした。

「帰ってきてくれたから…それで十分よ」
「そんな顔しておいてか?レニを特別扱いして…隊長と同列に扱ってるって?」
 その言葉にマリアは初めてカンナの方を見た。カンナは誰かから聞いたという表現をしていたが、多分嘘だろう。こういう事に関しては、誤魔化せない人間だ。酷くこういう変化に敏感なのだ。
 しばらくカンナを凝視して苦笑したマリアを、真剣な顔して心配してくれている。その瞳に見つめられてるのが苦しくなり、マリアは視線を逸らして席を立った。サロンを出る直前にほんの一瞬だけ、大神とレニの方へ視線を向けて、すぐにその場を立ち去った。

 

- 3 -

 急に吹き抜けた風に思考を遮られて、目の前に広がる光景を見つめ直す。
 以前は、自分もあの影だったのだ。
 離れることのない、二人の影を見ながらそう思う。
 違うことと言えば、マリアが大神に求めたのは、恋人と呼ばれるような愛情ではなかったと言うことだ。
 安心できるぬくもりが欲しい。ただそれだけだったのだろう。
 それが証拠に、あの二人を見て悔しいとか、レニに対しての嫉妬などはマリアの胸には浮かんでこない。
 ただもう二人が自分の手に届かない、高い場所に行ってしまったような、自分だけが置いて行かれたような、そんな寂しさだけが募ってきて、マリアはその場に座り込んだ。

 目の前の二人は月の光に照らされ、あまりにも綺麗で目をそらした視界に、自分の手袋の紅が入る。
 その緋色と視界の先の淡い蒼は、あまりに世界が違いすぎて、立場が違うことを再認識させる。
 多分彼女なら敵にすら、安らぎという慈悲を与えることが出来るだろう。
 苦痛を伴う死しか与えることが出来ない自分とは、あまりに違いすぎる。自分があの二人の近くにいるためには、何が出来るだろう。
 そんな言葉が出てきたことに、マリアは違和感を感じなかった。
 いつの間にか大神だけではなくて、以前カンナが指摘したとおり、二人を同列に見ている。
 花組副隊長として…二人の傍らにいていいものとして…どうしたら自分の居場所を護っていけるだろうか?
 答えのでないまま座り込むすぐ側を、柔らかい風が吹き抜けていった。

 

- 4 -

「マリアはん、ちょっとええですか?」
 書庫で本を読んでいると、ドアの隙間からためらいがちに紅蘭がマリアに声をかけてくる。その動作に小さく頷くと、読んでいた本を棚にしまい廊下に出る。
「どうかしたの?」
「すんません、ちょっと天武のデータを調べてたんやけど…気になることがあってつき合って貰えんやろか」
「ええ、隊長には?」
 いつもの紅蘭らしくない歯切れの悪い言葉が続く。もしも天武に何かあれば、これからの戦闘に不利になる。
「大神はん、ちょっと出かけてるんですわ…それでちょっとマリアはんに見て貰おうと…」
 そこまでで大体の事情は飲み込めた。紅蘭の口調がなにか不自然な理由も。ここまで気を使われていることに、別の意味で苦笑する。
 多分大神がレニに構っている事を、彼女たちなりに気を使っているのだろう。
 紅蘭を安心させるかのように、彼女の研究室と化している格納庫へ紅蘭を促す。それはマリア自身を納得させる行動に近かった。

 紅蘭が確かめたかったのは、先日行っていたと言っていたオーバーホール後の経過だった。以前より効率が良くなっている筈なのだが、どうもデーターを見る限り、その数値が思わしくないらしい。
 とりあえず、二人で各要所を点検してみる。基本的に整備は紅蘭の仕事ではあるが、彼女に万が一のことがあった場合のことを考えて、マリアも整備のことは一通り覚えていた。
 何度もマニュアルに目を通して、確認事項を埋めていく。特に変わったというか、問題などは見あたらない。
「紅蘭。特に問題があるようには見えないんだけど…この機体だけがおかしいのね」
 自分の天武のパネルを閉めながら、先ほど頭の中をよぎった疑問を確認するように紅蘭にぶつけてみた。
 途端に紅蘭の表情が変わった。言うか言うまいかしばらく、マリアの後方へ視線をそらせた後、マリアに一束のデーターを手渡した。
「他のみんなは程度の差はあるものの、能力は上がってるんや」
 確かにデーター上はそのようになってる。ただマリアの処だけ異常な数値を示していた。  戦闘時のみの急激な能力上昇。確かにマリアの方にもその自覚があった。待機中から戦場に着くまでの間、非常に天武が重たく動作が鈍くなってることに。
「ここまで能力に差があるなんて考えられへん」
「いいのよ、おかしい処なんて無いんだから」
 紅蘭に聞こえないくらいの声が漏れた。彼女に全身のふるえが気づかれないよう大きく息を吸い込む。
 明らかに自分の霊力が落ちていた。それを今更確認する。
 あの日、あの影を見てから…自分の中で何かが狂っていく。

 霊力は、自らを護る力。大切な人を護る力。
 世をはかなみ、消えたいと心にいつも言い聞かせていた時も、心の中で生きたいと祈っていた。今はないロシアに消えた大切な人を消したくないと思っていた。
 だから…自分の力が届かないとき、霊力が働いていた。
 今は闘いの時、隊長の側にいる時にしか使えなくなっている。
 このままだといつかは消えてしまう。側にいたい生きていたいと願った途端、その力をなくしてしまった。

「なぁマリアはん」
「え?」
 考え込んでいたマリアよりも、悲痛な声で紅蘭が話しかけてくる。
「最近何かなくしたものないですか?」
 それにはマリアは答えなかった。無くしたものはないはずだった。すべては自分から手放したものしかない。
「霊力なんて言うものは、生きるための力や。まさかマリアはん…」
 紅蘭の言葉は、最後まで音にならなかった。けれどもマリアには最後までその意味も分かったし、それが自分に当てはまっていることも理解できる。
 ならば早く行動を起こさなくては。自分のせいでまた大切な人を失う前に。
 紅蘭に表情を見せないように目を伏せると、機械油に汚れた整備用の手袋が視界にはいる。その黒い油の色がマリアの目には自分の手で掬った血溜まりの色に見えた。

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