不香の花 -中-
        扉前地下倉庫不香の花
   
「どうした?華撃団花組の要がこんな処にいて良いと思ってるのか?」
 小さい…だが、低く存在感のある声が脇から聞こえてきた。以前聞いたような記憶を探ると同時に覚えのない気配に身体の警戒を強くした。
 大帝国劇場からさほど離れていないとは言っても、あの場所に関わる者なら立ち入る機会がないようなたぐいの小さなバーに入って何時間か経ってからのことだ。
 京極 慶吾…自分たちが闘ってきた黒鬼会の首領。確か情報によれば、あの反乱を失敗した後自害したと聞いていたのに、彼はそこにいるのが当然のように着ていたコートを店員に預け、自分の側に腰掛けた。
 月組の情報も意外に当てにならない…そうのどの奥で笑いをこらえようとした途端、彼に邪魔されるまで思い出していたこの数日のことが頭の中に戻ってきて、その笑いを止める。

 クリスマス公演の翌日、今まで考えていたことを全て実行に移した。
 レニへの引継を半ば強制的に終わらせて、その足ですぐに支配人室に向かう。
 副隊長の解任の承諾と辞任届を提出して、背後に呼び止めの台詞を聞いたが、それを振り払うように帝劇を飛び出した。
 レニの副隊長への推薦の理由は戦術・戦略ともに豊富な知識を有し、全員の特性が理解できること。
 気になっていた経験の不足に関しては、隊長のフォローにより精神的にも成長し、経験と知識をうまく適用することができている。
 辞任届の方には…[任務に不適格と判断されるため]とだけ。
 持ってきた物は何もない。
 今まで自分のみを護ってくれたエンフィールドだけが今の持ち物。
 帝劇にいるときに増えた数々の物は、あの夜から不自然に取られないように少しずつ焼き捨てた。
 あの人達が思い出そうにも、思い出す痕跡を見つけられないように。


「今日退団届けを出して来た」
 ぶっきらぼうにそれだけを口にして、手元にあったグラスを空ける。
 帝都では滅多に手に入らない貴重なシングルモルトだったが、ただ甘いだけの香が口の中に広がった。
「行くあてはあるのか?」
 その問には静かに首を振るだけの仕草で返す。ついこの間まで敵の大将であった人物が側にいるのに、不思議と先ほどまで持っていた警戒感を自ら外していることに何の疑問も持たなかった。以前、あの寒い日に会った彼が持っていたより少し穏やかになった邪気が、自分に心地よくなってるからかもしれない。

 自分から計画的に居場所を無くした割には、その先のことはなにも考えていなかった。
 帝劇にいたとき物欲がなかったせいか、蓄えだけはたくさんある。
 帝都では私の姿は目立ちやすいし、横浜も知り合いが多いので見つかる可能性が大きい。見つからずに済みそうなのは神戸か長崎か…いっそのこと海外に行こうか?今なら誰も入らない移民開拓地があったはずだ。シベリア以来のきつい生活になりそうだが、帝劇すら裏切った自分にはちょうど良いかも知れない。
「なら…私の元にこないか?」
 これからのことを考え込んでいる内に、予想もしなかった申し出に驚いて、彼を正面からにらみつける。誰がと思う。赤坂の戦いの時まで敵だったのではないか。今までの戦いを、無意識に思い出し身構える。
 が、当の相手は寂しげな笑みを返すだけだった。

「…もう私には力は残っていない。黒鬼会も討ち倒され、軍部の支配力もなくなった」
「本気で言ってるの?」
「ああ、君が討ち取ったんだろう…?覚えてないのか?」
 静かに首を振った。忘れるはずもない。
 レニへの仕打ちに我を忘れ…だが、水狐の心の内に自分を重ねてあえて助けるのを静止した自分。
 火車の行いに、幼い頃の圧制者の非道を重ねていたような気がする。
 金剛も鬼王すら手にかけた…それは事実。そして自分の手には、何も残って…いや、討った人たちの呪詛だけが残っている。

「一番手に入れる鬼は、君だったのかも知れないな」
 カラン
 その言葉に同意するかのように、手の中のグラスの中で氷が音を響かせた。私にその音にならって、同意を勧めているかのように。
「…」
「情に厚く、しかし情に流されることは決してない。自分の主以外の事など頭にないだろう…自分自身すらな」
 そんなことはないと思いながらも、彼に指摘された事実と異なるものを探し出すことが出来ない。
「本当は正義だと思ってないのだろう?あの場にいるのは、君を縛り付けている約束だろう?藤枝 あやめとの」
「なっ!」
 自分も意識していなかった事実を当てられ、思わず席を立とうとするのを彼に静止される。
「敵の姿すら知らないで戦が出来るか?藤枝くんは陸軍出身で帝撃の要だった人間だ」
 そう、私は彼女の熱意に負けて彼女と約束した。[帝都を護る力になる]と。
 そのかわり彼女は大切なものばかり私にくれた。安心して寝られる寝場所、背中を任せる事が出来る友人、自分に夢を見てくれる帝劇の観客。
 そして自分を殺しても構わないほど大切な隊長。
 だから彼女がこの世界からいなくなってしまったあの闘いの後も、自分でその約束を継続した。今度は新しい約束をくれた隊長のために。
 だけどその約束は力をなくしてしまったことで、破棄になるはずだ。隊長の力になれないのなら、約束を守れるはずがない。

「だけど…貴方の仲間になっても…あの人とは向き合えませんよ」
「構わない。今私に必要なのは、彼らを知っていて話せる相手だからな」
 どうかしていたのだろう。本来ならそんな言葉を真に受けることもないのに、この時だけは彼の言葉に共鳴していた。何故か隊長の名前は出さずに、中途半端な答えを返す。
 厳しかった闘いが終止符を打った。彼ももう表に出ることはない。私も力を失って行き場がないのなら、彼にゆだねてみても良いのではないか?そう心が訴えた。
 力と心の強さは一緒ではなかったか?少なくとも霊力はそうだった。
 一人で心が辛いなら、二人で今まで失ってしまったものの話をしよう。そうすれば、少しはこの心が満たすことが出来るかも知れない。

 カラン。小さくまたグラスの中で氷がなった。どちらもなにも言い出さない。彼も回答を求めるわけではない。静かに時間だけがお互いの間を通り過ぎていくのを感じるだけだ。
 どのくらい時間がたっただろうか?空気が静かに動いた。ぼんやりとした視界に彼の顔が見え、腕を取られ引き寄せられる。一年以上遠ざかっていたぬくもり。
 隊長の面影を見たわけではなかったが、そのまま動かずにその行為を受ける。
 隊長とは全く異質な、惹きつけられる感じがした。
「これは契約ですか?」
 喉を通り越していった液体が残っているグラスに、視線を向けながら問いかける。何故かこの場が何かの儀式のように感じたから。
「そう思いたければ、思うがいい。君には必要だろう?」
 考えてみれば、地に堕ちた者達の頭領である彼が、そんな儀式をするわけがない。
「貴方が望むのは、地の底へ堕ちるための供ですか?それとも…」
 自分なんかにすがる人ではないだろうなと、返事は元から期待してはいないが、わざと最後まで続けずに意味ありげに彼の方へ視線をあわせて返事を求める。

 そんな視線を無視するかのように、彼は静かに席を立ち、何かを店員と話した後、扉に手をかけてすっとその手に力を込めた。
 ほんの少しだけ開いた扉のその先に広がる暗い色が、自分の行く末やすべての先が見えたような気がして、それが彼の答えだと気が付くより先に席を立って、彼の歩いた道をたどるように彼の傍らにたどり着く。
 ふとふり返った先ほどまで座っていた席に、隊長達が座っている様な気がして、一度だけ頭を振って扉を閉じる彼の手に手を重ねそれをせかした。

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