風鈴

 ちりん……。

 風鈴が涼しげな音を立てる。

 米田の親戚が経営するという旅館の縁側で、大神は胡座をかきながらそれを聞いていた。
 夏休みの熱海旅行も二日目。海やら山やらに出かけてしまった少女たちが戻ってくるまで、まだ時間はあるだろう。

 のろのろと過ぎてゆく昼下がり。
 時折吹く心地よい風。
 手にした団扇で顔を扇ぎながら、陽光を受ける池の水面の眩しさに眼を細める。

 日頃あくせくと雑務に追われているだけに、こうしていることが至極贅沢に思えてくる。この休暇を与えてくれた米田に感謝しながら、大きく伸びをしたその時。

「隊長」

 襖に手をかけたマリアに声をかけられた。同じ縞の浴衣姿。昨夜も見たけれどやはり新鮮だ。

「マリアか……。おいでよ」

 腕を伸ばしたまま止まった姿をくすりと笑われて、大神は頭を掻きながら苦笑する。彼女は穏やかな表情のまま、隣に脚を崩して座った。



 蝉の鳴き声。潮の香り。立ち昇る入道雲。どこまでも高い空。
 眩しい季節。
 そして隣にはマリアがいる。
 無言の時。だが、決してぎこちなくはない。こうして自然に並んでいられることが嬉しかった。

 ちりん……。

「いい風が入りますね」
「ああ……」

 金糸の髪がふわりと揺れるのを眺めながら相槌を打つ。
 ……綺麗だな。

「こうやってのんびりしていると、いつもの喧騒が嘘みたいだよ」
「ふふっ、皆が帰ってきたらまた騒がしくなりますよ」

 形のよい口元が軽く笑みを作る。
 ……綺麗だな。

 ふと、マリアがこちらを向いた。

「どうしたんです?」
「え?」
「さっきから私を見てばかり……」

 ちりん……。

「綺麗だな、と思って……」
「た、隊長!」
「え、あ……」

 眼を丸くしたマリアがぱっと俯き、大神も夢から覚めたような顔になる。
 何を口走っているんだ。そう慌てながらも彼女を覗う。

 ちりん……。

 再び吹いた風がマリアの前髪を持ち上げ、隠れていた瞳が一瞬だけ露になる。
 その煌きに、再び……綺麗だな。

 自分はどうかしているのかもしれない。大神はそんな気すらしていた。



「その、ごめん……」
「…………」
「……マリア」
「あ……」

 肩に手をかけ、引き寄せる。
 戸惑ったように胸元に手をやったマリアは、大神の顔を覗き込んだまま固まってしまう。

 眼を逸らせない。
 半ば惚けたようにうっとりと自分を見つめ続ける大神に、何か魔法でもかけられたかのように。いや、かけられていたのは大神のほうだったのかもしれない。

 大神はマリアの白い顎に手を添える。漆黒と翠の瞳は互いの姿だけを映し、最早蝉の鳴き声も届かず、そして……。

 ちりん……。

 再び風鈴の音が聞こえるまで、ふたりは動きを止めた。

 ゆっくりと顔を離し、マリアは大神の肩に頭を預けた。
 やがて玄関から賑やかな声が聞こえてくるまで、大神はその肩をそっと抱いていた。

-了-