薄紅色の花びらが目の前を横切ってゆけば、あの樹が見えてきます。
こうしていると思い出します。こんな風に、花の雲の中を歩いた日のこと。
花びらが斑点のように散らばる道をゆけば、あの樹が見えてきます。
あの時――真っ白い海軍の軍服姿のあなたを見つけた時、一瞬お父様かと思いました。
ああ、あれはもう三年も前のこと。
目の前を花吹雪が覆います。
やがて開けた視界の向こうに、ほら、あの桜の樹が。
あの時と何も変わらずに、今年もまた淡い色の花を咲かせています。
でも……もしかしたらあなたがいるかもなんて、そんな願いは叶わない。
仰ぎ見た空は一面の花に阻まれ、その見事な枝振りの隙間から僅かに覗いただけ。
何度こうしてこの樹の下に立ったでしょうか。
何度こうしてあなたのことを想ったでしょうか。
そして……これから何度…………。
次々と舞う花びら。
こんなにも素直に、綺麗と思えるのはどうして?
ねえ……大神さん……?
好きと言ったら、微笑んでくれますか?
愛していると伝えたら、抱き締めてくれますか?
どうすればあなたの優しい顔と広い胸を忘れずにいられますか?
ねえ……大神さん……?
この麗らかな春の日差しのもと、この満開の桜に包まれて、あたしたちは出会い、別れ、再会した。
だから、明日また離れ離れになっても、きっと、きっとまたここで逢えますよね?
あなたがくれた優しさも強さも、決して無駄にはしたくないから。
だから、あたしは前を向いて歩いてゆきます。
明日、旅立つあなたへ、手紙と一緒にこの花びらを入れておきましょう。
来年も、再来年も、そのまた次の年も、あなたがお帰りになるまで、この花が咲くたびに花びらを送りましょう。
桜は咲きます。あなたのために。
耳に響く汽笛の音……。
色とりどりのテープと、紙吹雪と、人々の歓声が、船出を祝っています。
そうよ、とってもおめでたいことだもの。とっても喜ばしいことだもの。
だから、笑わなくては。
寂しくないなんて絶対に言えないけれど、でも、泣いたりはしないから。
だって、この蒼い空も、もっと蒼い海も、あなたの赴く地へと繋がっているんですもの。
だから、笑わなくては。
今日、旅立つあなたへ、万感の、思いを込めて。
せめてもの、餞に、決心の、崩れぬうちに。
微笑んでみせます。
頬が熱い。
まだ、駄目。
まだ、笑っていなくては。
あなたの前だから。あなたが見ているのだから。
だから、精一杯の微笑みを。
目頭が熱い。
あなたの姿が滲む。
それでも、それでも、この笑みだけは……!
今日、旅立つあなたへ、あたしのすべてを懸けて、微笑んでみせます。
さくらは咲きます。あなたのために。
-了-