サイリュームデイについて(超苦言(笑))

またの名をサイリュームなんていらない(笑)


もうここでこの話をするのは止めようと決めていました。
でも、某BBSで『サイリュームディ』なる企画を目にしてちょっと傍観出来
なくなってしまい、もう一度ちゃんと書かなければいけないと思いました。
とにかく読んでください。その上での反論はいくらでも受けますので。

まず『サイリュームディ』なるものの計画について書かなければならないでしょう。
前回、サイリュームで体調を崩した人がでたことを踏まえて、サイリュームを禁止。
それでもサイリュームを振りたいと言う人に配慮して今年の歌謡ショウでこのよう
な日を数回設けようということのようです。
今回は8/14・15の3回の公演が『サイリュームデイ』として設定されています。
この『サイリュームディ』には、「禁止するということに強制力を持たせるため。」
という意味合いもあるのだという発言も 読ませていただきました。
発言に対するレスを見るとこの提案に皆さん大賛成ということのようですが…
私はここで敢えて言わせていただきます。
大反対です。
というより、とんでもない失策だと思います。

『サイリュームデイ』を作るといえば、光過敏症などの人に配慮したように思えるでしょう。
しかしこれは、この日には「来るな」という拒絶でしかありません。
もし、今まで症状はなかったけどたまたま何かのきっかけで光過敏の症状で
倒れた人がいた場合はどうなるのか…考えただけでこわくなります。
『サイリュームディ』の発祥について知ってる人は「具合悪くなるんだったらなんで来るんだよ」と一瞬とはいえ思うでしょう。
実際、前回本家BBSでこの話題が出たときには
「いやなら来なければいい」というような趣旨の発言もありました。


もっと根本にもどって考えてみませんか?
なぜ、サイリュームを振るのか。またはサイリュームを振りたいのか。
「客席から役者さんたちに感謝の気持を伝えたいから」
「光が揺れてるのが綺麗だから」

しかし、これって一部の人が参加できないという状況でやることなんでしょうか。
感謝の意を表すのにどうして弊害があるとわかったものをわざわざ使うのですか?
そんな必要があるのでしょうか。
もっと他に感謝の意を表す方法を考えてみてはどうでしょう。

すでにサイリュームによって体調を崩す人がいるということがわかってしまった時点で
役者さん達は手放しではよろこべなくなっているはずです。
それなのになぜ敢えてサイリューム&ペンライトなのでしょうか。
どう考えても本末転倒のように思えてなりません。

 
『一人でも楽しめなければ、サクラではありません』
スタッフの方の言葉を思い出すたびに、考えるのです。


他の人からみればもうどっちでもいいじゃないか…って思うかもしれません。
でも、私はサクラはユニバーサルデザインであって欲しいと思っています。
老若男女、健常者も障害者も安全に楽しめる空間であって欲しいと。
だからこそ、この一部、特定の症状を持つ人のみを
拒絶する
『サイリュームデイ』には納得いきません。
 

もちろん、主催者側がどちらも立つようにと『サイリュームデイ』を設けようと考えて下さった
ということについては理解できますし、前向きに善処していただいたものと感謝はしています。
しかし、それは解決ではなく、そのような人の
疎外する行為であるということに
気づいていただきたいです。


このようなことを言えばきっと「来るなとは言っていない」そう言われるでしょう。
しかし、それは立前でしかありません。
そのような症状のある方が
その原因となりうるモノが使用されるとわかっていてなぜ行けるでしょう。


このようにある一部の人を拒絶するのがサクラなのですか?
もしそうなら大変悲しいことです。
みなさん、もう一度よく考えてください。本当に必要なものはなんなのかを。

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