ふたり

 トントン。
 まもなく日付も変わろうという時、マリアの部屋のドアが小さくノックされた。
「誰かしら…こんな時間に。」
読んでいた本を閉じると、そっとドアをあける。
「カンナ」
「よっ、ちょっといいか?」
「ええ…どうぞ、入って。」
「ありがとよ。」
「どうしたのこんな時間に。」
カンナはいたずらっ子そうな笑みを浮かべると、後ろに回していた手を差し出して見せた。
「それは…」
その右手には一升瓶、左手には湯飲みが二つ。
「この前、沖縄に帰った時に手に入れたんだけどさ、なんか珍しい泡盛なんだぜ、マリアと一緒に飲みたいと思ってさ。」
「まあ…カンナったら…」
「たまにはいいじゃねえか。今のとこ特に邪気は感じねぇし、帝都は平和そのものだしさぁ。な、いいだろ?」
マリアはちょっと考えるような仕草をしたがやがて微笑んだ。
「そうね。たまにはいいかしら。」
「そうこなくっちゃ。」
カンナはにっこりと笑うと床にドカッと腰を下ろすと、早速湯飲みに泡盛をつぎ分けた。
「さぁ、とりあえず乾杯だ。」
「なんに乾杯するの?」
「決まってるじゃねぇか…」
とそこまでいって、カンナは部屋の中の時計を確認した。0時5分。
「よし、0時すぎたな。誕生日おめでとう。」
「え?あ…今日は19日…カンナ、もしかしてそれで…」
「あはは、まあな。明日の夜はどうせまたみんなで宴会だろうからさ、前夜祭ってとこかな。」
「ありがとう。うれしいわ。」
「礼なんて言うなよ、恥ずかしいじゃねぇか…っととにかく乾杯。」
「乾杯。」
二人は湯飲みをカチャリと合わせた。



「しかし、こうやってふたりっきりで話すなんて久しぶりだなぁ。」
「そうね…帝撃に来た頃はアイリスと私たち2人だけ。アイリスはまだ小さかったし、よく二人でこうやって夜まで話したわよね。」
「あやめさんに「帝都を守れ」って言われて来たのに、まずやったのはなんたって舞台の練習だもんなぁ。あれには参ったぜ。」
「フフッ、本当に。花組の世を忍ぶ仮の姿だって言われてはいたけど、それまで私たち歌も踊りも無縁の世界に生きてたんですものね。」
「そうそう。あたいなんて毎日空手の修行しかしてなかったのにさぁ、そいつは無理ってもんだぜ。で、毎晩の様に二人で愚痴いってたよなぁ」
二人は顔を見合わせると声を出して笑った。が、すぐに他かの部屋のメンバーを思いだして、同時に自分の口を押さえる。その様がおかしくてまた笑った。
「でも、最初は取っつきにくい奴だなぁって思ったぜ。くそ真面目でさぁ。」
「そうねぇ、あのころは私はまだまだ人と関わるのが怖かったから…」
「それがさぁ、いつだったか…ちょうど今ぐらいの時間に厨房でばったり。」
「しかも二人とも酔ってたのよね。」
「マリアはウォッカ、あたいは泡盛。」
「そう。で、どうせなら一緒に飲もうってことになって、カンナの部屋で朝まで飲んで…」
「次の日、二人とも二日酔いでレッスンが辛いのなんのって…」
二人はまた顔を見合わせて笑い合う。
「なつかしいわね……あれから花組の仲間もずいぶん増えたし。」
感慨深げに呟くマリアにカンナも大きく頷いた。
「ああ、そうだな…。紅蘭、すみれ、さくら、織姫、レニ…それに隊長。」
「隊長が来てくれるまでは大変だったわ。みんなバラバラで…どうしたらいいのかわからなくって…でも、あのときはカンナがいなくて私は一人で飲んだくれてたわ。」
「ちぇっ、耳が痛いなぁ…一番わがままやってたのはあたいだもんなぁ…」
「そうよねぇ。でも、そんなとこがカンナらしいんだけど。」
「あはは…でも、あたい、あのときはとにかく親父の仇を討ちたかった…それができなきゃ一歩も先に進めない…そんな気がしてたんだ。」
マリアはただ黙って頷いた。
「でも、今考えると、あたい、帝劇が…この花組があったから…帰れるところがあったから、あんな無茶ができたようなきがしてるんだ。親父の仇に対しても優しくなれた…そんな気がする。」
「そうかもしれないわね…私も花組がなかったら…きっと自分を許せないままだったと思う。ここに来て、私は少しずつ自分を許すことができたんだと思う。」
「…あのさ、マリア。」
「なに?」
「…お前があの手袋を外している様になったとき、すごくうれしかったんだぜ。」
「…カンナ……」
「…昔、こんな風に二人で飲んでるときによぅ、あの手袋のことでケンカになったことあったじゃねえか。」
確かに、あの頃のマリアは自分の過去を振り切ることが出来ず、血で穢れた手を赤い手袋に包んでいた。
「…そういえば…そんなこともあったわね…」


 花組に来て数ヶ月。いつものようにカンナの部屋で二人で酒を飲んでいるときだった。二人ともうわばみとはいえ、かなり酒が入っていい気分になってきたそんなとき。
「なあ、マリア。ひとつだけ気になってることがあるんだけどよー」
ふいに真面目な調子でカンナが口を開いた。
「なぁに?」
「お前の生まれがロシアだってのはわかってるけどよー、なんだってこんな時までそー暑苦しい手袋してんだよ。もう夏になろうってのによー。」
「これは……気にしないで、もう慣れてるから。」
「お前は慣れてるかもしれないけどよー、見てるこっちの方がなーんか暑苦しいんだよなぁ。」
そういうとカンナはふいにマリアの手をとって手袋を脱がしにかかった。
「カンナ!やめて!何をするつもり!」
「とっちまえよ、こんな手袋。」
「やめてーーーっ。」
渾身の力を込めて、マリアはカンナの手をふりほどくと、胸の前で手を組みそのまま身体を屈めてしまった。
「なにかその手袋がとれないわけがあるのかよ!」
苛立ちでカンナの声が大きくなる。
「だめなのよ、この手袋は取れないの、取ってはいけないのよ。」
「どうしてだよ、なんか理由があるっていうのかよ。」
「だめなの…だめなのよ…私の手は血で穢れてるから……」
マリアの答えに引き起こそうとしていたカンナの力が一瞬ゆるむ。その隙を見逃さず、マリアはカンナを突き飛ばした。
「…ッ…この……マリアッ!お前の過去がどんなものかなんてあたいは知らない、でもそんなもん引きずってなにになるってんだ。あたいがそんなもの壊してやる。」
「だめよ、これだけは取れないわ。」



「…その時のマリアの言葉…今も忘れねぇ。…こいつあたいと同い年でどんな人生歩いてきたんだろうって…」
「それでカンナったら無理矢理手袋取ろうとして、二人で取っ組み合いのケンカ。」
「あははは、そうそう。騒ぎに驚いて飛んできたあやめさんにこっぴどく叱られたなぁ。」
「お酒とりあげられて、朝まで舞台の上で二人で正座させられて…。」
「そうそう、あれは辛かった〜。」
ひとしきり笑いあったあと…ふっと、マリアは呟く様にして言った。
「本当のこというと、あのときなんだかうれしかった。…まだ手袋をはずす勇気はなかったけど、でもここにいればいつかはずせる日が来るんじゃないか…そんな気がしたのよ。」
そう言ったマリアの微笑みは穏やかで、カンナは一瞬見とれてしまった。
「…どうしたの?」
急に黙ってしまったカンナをマリアが不思議そうに見つめた。
「いや……おまえ、本当にいい顔して笑うようになったなぁって思ってさ。」
「なに言ってるのよ、カンナ…」
「とにかく、もう一回言わせてくれよ。」
「え?」
「誕生日おめでとう。マリア。これからもよろしく。」
カンナがそう言うとマリアは笑顔で杯を合わせた。

End


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