小さな絆

 

黒鬼会との戦いが終わり、帝都に平和が戻った。帝国華撃団から帝国歌劇団に戻った僕たちは春公演を大盛況のうちに終えた。

その知らせを僕が聞いたのはそのすぐ後だった。

うれしい知らせがひとつ。

淋しい知らせがひとつ。

隊長が中尉に昇進。それはうれしい知らせ。

期間の決まっていない隊長のフランス留学。それは…淋しい知らせ。

 

米田指令から呼び出しがあったときに感じた胸騒ぎ。

それはこの知らせのことだったんだ。

 

フランス留学は隊長のためにとても有意義なものになるだろう。だから僕はそれを笑って見送ってあげなくてはいけない。わかってはいる。でも、どうしても笑えない僕。

 

「…レニ……」

隊長が困ったように僕の顔を見つめていた。

(笑わなきゃ……)

そう思うけれど、どうしたらいいんだろう。そうだ、ここを舞台の上だと思おう。舞台の上のように自分の気持ちを隠し、偽りの仮面をかぶればいいんだ。

(ここは舞台。僕は…役者………)

隊長に気づかれない様に僕は深く息を吸い込んだ。

「おめでとう、隊長。」

僕は微笑んで言った。

僕はちゃんと笑えていただろうか?

隊長は安心してくれただろうか………。

旅立つまでの一週間、僕はこの悲しい演技を続けなければならない。

隊長が安心して旅立てるように……。

 

それからの一週間、まるで想い出を作ろうするかのように隊長は何かと理由をつけては僕をどこかに連れ出した。隊長と一緒にいられるのはうれしい。でもそれが後少しだと思うと胸の奥が痛くなる。楽しいと思う気持ちと同じだけ淋しいと思う気持ちが針になって心に刺さる。

その痛みは、夜一人で毛布にくるまって眠るときにいっそう激しく僕を苦しめる。

隊長を笑顔で見送った後、僕はどうなってしまうんだろう。顔を覆った手のひらに冷たいものが落ちた。涙…。泣くなんてことずっと知らなかった。人と別れることが涙が出るほど辛いなんてしらなかった。ここにやってくるまで…隊長に出会うまで。

 

コンコン。

 

小さなノックの音に目を覚ました。泣きながらうつらうつらしてしまったらしい。腕の時計を見るともう日付が変わろうという頃だった。

(こんな時間に誰だろう…)

「レニ?」

「隊長?!」

驚きに思わず声を上げていた。もう見回りはとっくに終わっているはずだ。

「あ、寝てたかい? ちょっといいかな。」

「え、あ…うん…。あ、ちょっとまって……」

涙の後を消すように何度も毛布で顔をぬぐって、僕はドアをあけた。

「ごめんよ。こんな時間に。」

「ううん。かまわない…どうしたの、隊長。」

「うん。今、荷造りをしていたんだけど…どうしてもレニにもらって欲しいものがあってね。」

「僕に?」

「明日でもいいかなとも思ったんだけど、「思いたったら吉日」っていうだろ?で、もしかしたら起きてるかなと思って来ちゃったんだ。」

そういって隊長は照れくさそうに笑った。ステキな笑顔。僕の好きな隊長の笑顔…もうすぐ見られなくなる笑顔……。

そう思うとまた涙が出てきそうで俯いてしまった。

「それで…何?」

隊長に気づかれない様になるべく感情をいれずに言う。すると隊長はそっと右手を差し出した。そこには…。

「…万年筆?」

 隊長は僕の手をとり黒いエボナイトの万年筆を握らせた。

「これをね、レニに使って欲しいと思ったんだ。これは、俺が士官学校に入学したお祝いに父親に買ってもらったものなんだけどね。特に高級品ってわけじゃないけど、うれしくてずっと使って来たものなんだ。」

「そんな大事なものを…僕に?」

「ああ。…その……これで、レニが手紙でも書いてくれればなぁって思ったんだ。」

「手紙?」

「うん。俺はもうすぐフランスにいく。そうしたら、レニと話をしたりできなくなるだろ?でも手紙なら、帝都とフランスでも好きなだけ話せるじゃないか。特別なことは書かなくていいんだ。なんでもいいんだ。フントのことでも、帝劇の公演のことでも、レニが俺に話したいなと思うことを書いてくれれば。」

「手紙……隊長も書くの?」

「もちろんさ。だから、その約束の印として、これをもらってくれ。」

僕は手の中の黒い万年筆を見つめた。隊長の愛用していた万年筆。これがあれば、これからも、遠く離れても隊長と話ができるかもしれない。

「了解…」

僕の答えに隊長が笑った。

「ありがとう。じゃあ、遅くに本当にごめんよ。」

「ううん。ありがとう…隊長。これ、大切にするよ。」

「ああ。おやすみ。レニ。」

「おやすみ。隊長。」

僕はそっとドアを閉め、再び毛布に包まった。手には隊長からもらった万年筆が握られたままだ。そっと手の中のエボナイトの滑らかな表面に指を滑らせると、これを使っている隊長の姿を思い浮かべた。

「隊長……」

いつのまにかまた一筋、涙が零れ落ちていた。

 

 

翌朝、僕は泣き腫らした顔を見られない様に早目に洗面所でつめたい水で顔を洗わなければならなかった。しかし、何度顔を洗ってみてもなかなかうまくいかない。

「困ったな…今日が隊長と過ごせる最後の日なのに…」

鏡の中には瞼を腫らした情けない小さな自分。隊長にこんな顔はみせられない…。

「おはよう。早いのね。レニ。」

声をかけられて僕ははっとして振り返った。そこにはマリアがたっていた。僕の顔を見たマリアの表情が変わった。僕の情けない顔を見られてしまった。恥ずかしくて僕は慌てて洗面所に向かい、もう一度顔を洗った。

「レニ……」

肩にそっと手を置き、穏やかな声で名前を呼ばれて、僕はあきらめて蛇口を閉めた。それでも情けなくて顔を上げることができない。

「いいのよ。隠さなくても。瞼が腫れて困ってるのはあなただけじゃないわ。恥ずかしいことなんかじゃないのよ。」

「ホントに?」

「ええ。私だって。この一週間何度も苦しめられたわ。」

僕の顔をゆっくりと自分の方に向けさせると、マリアは自分の顔を指差した。確かに僕ほどではないけどマリアの瞼も腫れぼったくなっているような気がした。

「ちょっと待ってね。」

マリアは微笑むと持って来たフェイスタオルを冷たい水で濡らすと堅く絞った。

「さあ、これでいいわ。レニ、朝食までこれを目の上に置いておくの。そうすれば腫れはかなり引くはずよ。」

「ありがとう…」

「いいのよ。さ、まだ早いわ。部屋に戻りましょう。」

「……うん。」

部屋まで戻る間、マリアの手は僕の肩に置かれ、励ますようかのようにゆっくりと一定のリズムを刻んでいた。それはどこか懐かしい、暖かい手だった。

「レニ…もう大丈夫ね?」

廊下を挟んで向かい合った僕らの部屋の前で別れる時にマリアは小さな声で言った。僕は黙って頷いた。

「じゃあ、またあとで。」

「うん…」

別れてドアをあけたとき、僕はふと思い付いて振り返った。マリアも僕の気配に気がついたのか振り返った。

「どうしたの?」

「あの…マリア、お願いが…あるんだけど…」

「このことなら二人だけの秘密にしておきましょう。」

「あ、そうじゃなくて…」

「そうじゃない?」

マリアが不思議そうに首をかしげた。

「あの…便箋……」

「便箋?」

「うん。便箋と封筒があったら分けてもらいたいんだけど…」

僕が言うと、マリアはなぜかうれしそうに微笑んだ。

「ええ、いいわよ。あ…でもレニあなたの部屋には机とかないわよね。よかったら私の部屋で書くといいわ。」

「でも………」

「あなたが書き終わるまで私はどこかに行ってるから。ね。」

 

 

午後、遊戯室でビリヤードをやってるというマリアの部屋で僕は、隊長への手紙を書いている。手紙なんて書いた事がないのでどうやって書いたらいいのかわからなかったけれど…隊長にもらった万年筆を握ると言葉が後から後から浮かんでくるようだ。白い便箋が瞬く間に言葉で埋まって行く。これなら、これからも隊長へ手紙がかけそうな気がした。

「帝国華激団・花組 レニ・ミルヒシュトラーセ」

感謝の言葉と共に、最後のサインを入れる。

はじめて書いた手紙。恥ずかしいから、船の中で読んでもらおう。

そう思いながら、封をした。

 そして隊長への思いを込めて、書きあがった手紙にそっとくちづけた。

 

Ende