マリアからの手紙

太正十五年・春 その2

 

マリアは、アイリスを食堂へと連れていった。

泣き続けるアイリスを落ち着かせるためにミルクセーキを作ってやった。

はじめはなかなか飲もうとしなかったが、一口、二口と甘いミルクセーキを飲むうちにアイリスも少しずつ落ち着きを取り戻していったようだった。

そんなアイリスの様子を見て、マリアはそっと尋ねた。

「ねえ、アイリス。なにがあったの?」

「…うん……」

始めは口ごもっていたアイリスだったがそのうちポツリポツリと話し始めた。

「あのね、…レニ最近元気がないの。サクラも、カンナも、すみれもみーんな心配してるんだけどなんだか、みんなのこと避けてみたいで、話しかけてもすぐに逃げちゃうんだって…。」

ここまではすみれやカンナの話といっしょだった。

「でもね、レニ、アイリスとは一緒に遊んでくれたんだ。だから、…たがらね、アイリスなるべくレニといっしょにいてあげたいと思って、二人で毎日フントの散歩に行くことにしたの。」

「それはいつぐらいから?」

「うーんと…一週間ぐらいまえからかなぁ…レニ、フントのこともすごくかわいがってるの。フントといるときはよく笑うんだよ。だからね、お散歩に行くのは嫌がらなかったの。でもね…」

「でも?」

「おとといだったかな…お散歩の途中で、織姫に会ったの。」

「織姫に?」

アイリスはコクリと頷いた。

「…織姫、お父さんといっしょにあるいてた。とっても楽しそうに笑ってた。アイリスね、織姫に声をかけようとしたのね。そしたら……」

「そしたら?」

「そしたら…レニが「やめよう。」って、それで疲れたからもう帰ろうって…。帝劇に戻るとレニそのままお部屋に閉じこもっちゃって…昨日、お散歩に誘ったら「気分が悪いから、また明日にして」っていうの。だから、アイリス今日はフントといっしょに誘いにいったんだよ。でも…やっぱりだめだった……」

アイリスの大きな瞳からひとつ、またひとつ大粒の涙が零れ落ちた。

「そう…そうだったの……」

「マリア………レニ…アイリスのことも嫌いになっちゃったのかなぁ…。」

「そんなことないと思うわ。たぶん、レニは自分でもどうしていいかわからないのよ。自分の中で起こっている変化に戸惑ってるんだわ。」

マリアの言葉にアイリスはびっくりしたように顔を上げた。

「そうなの?」

「ええ……この1年でレニには色々なことがありすぎたのよ。レニはまだそれを受け入れきれてないんだと思うの。」

「レニ…困ってるんだね。でも、アイリスなにもできない…どうしたらいいのかわかんない…」

アイリスはギュッとジャンポールを抱きしめて俯いた。

「アイリスはレニが好きでしょ?」

黙って頷くアイリスの肩をそっと抱きながらなだめるようにして、続けた。

「アイリスがそう思ってあげてるってことが、みんながレニを好きだと思ってあげていることが大切なのよ。その気持ちにレニが気付けばちゃんと自分自身の力で乗り越えられるはず。私たちにできることはレニが助けを求めているときに優しく手を差し伸べてあげることだけなのよ。」

…でも一番レニが手を差し伸べて欲しい人はここにはいない……。

マリアはその言葉を飲み込んだ。

「そうね、とりあえずアイリスは毎日フントの散歩に誘ってあげるといいと思うわ。すぐには無理かもしれないけど、アイリスの気持ちに気付けばちゃんとまた一緒に散歩に出かけるようになるとむ思うから。」

マリアの言葉にアイリスは少し驚いたように顔を上げた。

「本当に?」

「ええ。」

マリアは優しく微笑んで頷いた。それを見たアイリスの顔がみるみる明るいいつもの笑顔に変わっていく。

「わかった。アイリス、レニが断っても、断っても、毎日お散歩に誘いにいく。」

「そうね。それがいいと思うわ。」

「うん。ありがとう、マリア。アイリスがんばるね。」

「ええ。」

「じゃあ、アイリス、フントのお散歩に行ってくる。」

「そうね、フントも遊びにいきたそうだわ。」

フントは先程からアイリスの足もとにじゃれ付いていた。

「うん。じゃあ、マリア。いってきまーす。」

「気をつけてね。」

アイリスはフントを連れて元気に食堂からでていった。

 

 

食堂に一人残されたマリアは、さっきアイリスに自分が言った言葉について考えていた。

 

本当に、このままでレニは自分を見つけられるのだろうか。

花組の中の居場所を見つけることができるのだろうか。

 

マリア自身、花組にやってきて、ここが本当に自分のいるべき場所だとわかったのはいつのことだっただろうかと考えた。

あやめさんに誘われ、花組の隊長として帝劇にきたものの、自分の居場所をみつけられずにいた日々。花組を愛しながらも、本当にここに自分がいていい場所なのかわからずに、どこか固い殻にこもっていた。その固い殻を少しずつ叩いて壊してくれたのは隊長だった。

しかし、その隊長は今ここにはいない。花組の隊長代理は自分なのだ、自分がなんとかしなければならないのだと言い聞かせる。

マリアはそっと肌身離さず見につけているロケットに服に手をやった。

「隊長、私に力を貸してください…」

マリアは祈るように呟いた。

 

 

結局、マリアはレニの部屋にいけぬまま、夜を迎えた。夕食のときもすれ違いになってしまい、会うことはかなわなかった。どうしても会う勇気が出ないまま、マリアはなんとなく大神のまねをして夜の見回りをしてみようと思い立った。

平和になった今、ほとんど訪れることのなくなった地下の作戦司令室。

武蔵崩壊以来一度も出動することのない光武が休む格納庫。

みんなで夢を紡ぎつづけている舞台。

久しぶりにゆっくりと歩くと不思議と心が落ち着いていくのをマリアは感じていた。そんなとき、マリアは微かな歌声を聞いた気がして、ふと足を止めた。

風にのって聞こえてくる歌声をたどると中庭にたどり着いた。

「あれは……」

窓から漏れる明かりに照らされていたのはレニだった。レニは闇の中に浮かぶ帝劇を見つめながら歌っていた。その歌声は密やかなものだったが、静かな夜の中でははっきりと聞くことができた。

『My Sweet Home』

清らかなその声はレニの心の内から発せられる叫びのようにマリアは思った。

やはりそうなのだ。レニはこの帝劇を、花組を愛しているのだ。

しかし、愛すること、愛されることになれていないレニにとって、その感情は一方で不安を生み出すものになっているのだ。

教えてあげたい。私が隊長に教えてもらったこと、愛するということのすばらしいさ、愛されることの尊さ…。マリアは自然とレニに向かって歩き出していた。

 

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