マリアからの手紙

 太正十五年・春 その1

 

 

大神が日本を発って1週間。夏公演までしばらくは帝劇にゆっくりとした時間が流れていた。そんな中、マリアは組織建て直しのためにしばらく陸軍省に通うことになった米田長官の秘書代理を勤めることになり忙しい毎日を送っていた。

その日も長官とともに帝劇に戻ってきたのはすでに十時をまわろうという時間だった。

「マリア、すまんな。こんなに遅くなっちまって。」

「いいえ。私のことは心配なさらないでください。長官こそ、あまり無理はなさらないでください。」

「へへ、これでもまだ軟弱な若い奴等には負けねぇよ。それより、マリア。明日の予定だがなぁ…」

「はい…確か…明日は山口海軍大臣との昼食会を兼ねた会議が…」

マリアは上着のポケットから手帳を取り出してすばやくスケジュールの読み上げた。

「おお、それなんだがなぁ、先方の都合で延期になったんだ。」

「そうでしたか。」

「で、そうなると確か俺の方のしばらく大きな予定はないよな。」

「はい。月末までは特に行事ははいっていませんが。」

そう告げると米田はにんまりと笑顔を浮かべた。

「そうか。じゃあ、マリア。お前、明日から一週間休暇だ。」

「え?でも…長官が…」

「なーに、俺のことなら心配いらねえよ。陸軍省いくだけなら別にな。」

「しかし……」

マリアは一年前のことを思った。米田は水孤に狙撃され瀕死の重傷を負ったのだ。あの時、帝劇を離れて任務についていたマリアは錯綜する情報にやきもきしたことを覚えている。二度とあんな事件が起こってはいけないのだ。

「米田長官、マリアは心配してくれてるんですよ。そうでしょ?」

そこには私服姿のかえでが立っていた。

「ええ……」

「もうすぐ一年ですものね…でも心配ないわ。長官のお供だけなら私で用が足りるでしょうし、私の都合が悪い時には月組の加山くんにでもついてもらうから。それならかまわないでしょ?」

「よろしいんでしょうか。その…私だけ…」

「黒鬼会との戦いが終わってから、あなたほとんど休みなしじゃない。休養を採ることも立派な仕事よ。マリア。」

「はい…わかりました。それでお言葉に甘えて休ませていただきます。」

マリアがそう答えると米田とかえでは目を合わせて満足そうに微笑みあった。

 

翌日、マリアは廊下をかけまわるアイリスの足音で目を覚ました。窓の外に目をやると陽はかなり高くなっていた。自分では自覚してはいなかったがやはり疲れは溜まっていたらしい。休みだということで気が抜けたのかすっかり寝坊してしまった自分にマリアは苦笑するしかなかった。突然決まった休みで特にやることも思い付かないが、とりあえず着替えてサロンへ向かった。

サロンではすみれがいつものように紅茶を飲んでいた。

「あら。マリアさんもお茶…いかがですこと?」

「そうね、いただくわ。」

マリアは微笑んで、すみれのテーブルについた。

「静かねぇ…」

漂ってくる紅茶のいい香りを感じながらマリアは詠うように呟いた。

「そうですわね。紅蘭は花やしき支部に行ってしまったし、さくらさんも今日は朝から剣のお稽古とかで…織姫は休みになってからお父上のところに行ったままだし…」

「そう。織姫もお父様に会えてうれしいのね」

「カンナさんはこの時間なら鍛練室だと思いますわよ。あの人はまったく筋肉をつけることしかないんですから。」

「…レニは?」

「レニは…たぶん部屋ではないかしら……。食事の時ぐらいしか見かけないのですけど。アイリスがいると時々お茶に誘うんですけど、なかなか部屋から出てこないんですのよ。」

「そう…いいわ。あとで様子を見てくるわ。」

「そうですわね。マリアさんならあの子も少しは聞く耳を持ってくれるかもしれませんわね。」

すみれはそういうと淋しそうに目を伏せた。

「すみれ……?」

「私、黒鬼会との戦闘でレニはずいぶん私たち花組に溶け込んでくれたと思っておりましたの。でも…少尉…いえ中尉が日本を発ってから、まるでここに来た頃に戻ってしまったようなんですの。中庭で何度かフントと一緒のところは見かけたんですけど、私たちの姿を見ると逃げるようにしてまた自室に閉じこもってしまいますの…。」

「そうだったの…」

「ええ。唯一アイリスと一緒の時は少し打ち解けた表情を見せてくれていたのですが、それも最近ではあまり見ることが少なくなってしまいましたわ。マリアさんは忙しくされているので、私たちでなんとかしてあげたいと思っておりましたけど…」

「ありがとう。すみれ。私を気遣ってくれていたのね。」

「いえ…そんな……そういう訳ではないんですのよ。ただ、せっかく同じ花組の仲間なのに…と思っただけですの。」

「ええ、わかってるわ。私ね、今日から一週間長官にお休みをいただいたの。いい機会だわ。レニと少し話しみるわ。」

「お願いしますわ、マリアさん。」

自信家のすみれがこんな風な顔をマリアに見せるのは初めてのことだった。それも仲間のことで…。マリアはとにかくレニに会ってみようと、お茶の礼を言うと席を立った。

 

 

レニの部屋に向かうマリアの足は重かった。すみれにはああいったものの、実際にレニが自分の話をきいてくれるのだろうか。はっきり言って自信はなかった。マリアにはサロンからレニの部屋までがとんでもなく遠い距離に感じられていた。

「おっ、マリアじゃねえか。」

「カンナ。」

午前中の鍛練を終えて汗を流してきたのか、タオルでゴシゴシと髪の滴をぬぐいながらカンナが階段を上がってきたところだった。

「おめえ、今日から休暇なんだろ、なーに辛気臭ぇ顔してるんだよ。どうかしたのか?」

「いいえ、別にそういうわけじゃないんだけど…ちょっと気になることがあって…」

言いよどみながらマリアはレニの部屋の方へチラリと視線をやった。カンナはそれを見逃さなかった。

「チェッ、すみれの奴だな…まったくおしゃべりめ…」

忌々しそうにカンナは小さく舌打ちした。

「違うのよカンナ。私が聞いたの。レニのことは私も気にかかっていたから。」

「まあ…な…とりあえずあたいの部屋に来ないか?ここでしゃべっててもしかたないしさ。」

「ええ。そうね。」

確かにここではいつレニが部屋から出て来るかわからないし、廊下でしゃべっていたのではレニに聞こえてしまう恐れもある。とりあえずカンナの部屋で話をすることにした。

 

 

「で、どこまで聞いたんだ?」

カンナはマリアを椅子に座らせると自分は畳んだ布団の上に腰掛けた。

「レニがほとんど部屋に閉じこもってるって…アイリスが誘っても最近はあまり出てこないし、たまに部屋を出ていても誰かに会うとすぐに部屋に逃げ帰ってしまうって…」

「うん…そうなんだよ。なんかさぁ、ここに来た頃に戻っちまったみたいに…」

「……レニはもう大丈夫だと思っていたけど…甘かったかしら…」

「でもさ…」

「でも?」

「なんかわかんないけど…確かに初めの頃のレニとは似てるんだけど…ちょっとそれとも違うかな…って思うんだ。」

「どういうこと?」

「なんていったらいいんだろうなぁ…昔のレニって閉じこもるっていうか単にあいたいちに興味がないって感じだったじゃねぇか。」

「ええ、確かに。…レニが育った特殊な環境を考えれば、仲間とかそういう概念はあまりなかったみたいだし。」

「でもさぁ、今はその…なんていったらいいのかなぁ…今のレニみてるとさぁ、昔のマリア思い出すんだよ。」

「え? …昔の私?」

カンナの言葉に思わずマリアは声をあげた。

「ああ。はじめてここで会った頃のお前にさ。」

「そうかしら…」

「ああ。まあ、マリアの方がいくらかましだったけどさ。」

そういうとカンナは豪快に笑った。

「なんか、ひどい言い方ねぇ」

「怒るなよ。なんて言ったらいいのか…あたい、うまくいいえないけどさぁ。なんか傷つかないように自分の殻に篭ってるっていうのかなぁ…」

「…そうね……確かにそうだったわね…」

マリアが呟くようにいうと、カンナは微笑んだ。

「まあ、あたいも人のことは言えねぇけどさ。あの頃は親父の敵を討つために強くなることしか考えてなかったさ……あやめさんに誘われて花組にきて、みんなと出会って…隊長にあって…あたいもマリアも少しずつ変わってきたんだ。大丈夫、レニだってちゃんと自分でみつけられるさ。本当に大切なものを。」

帝都の人々の笑顔、花組みんなの笑顔、そして大神少尉の笑顔……そんないろいろなものにふれて私たち花組全員成長してきたのだ。

「そう…そうね。ありがとう、カンナ。なんだか、気が楽になったわ。」

「へへ、やっと笑ったな、マリア。その方が美人だぜ。」

「カンナったら。」

二人は声を立てて笑った。

 

 

マリアはカンナの部屋を後にするとそのままレニの部屋の前に立った。

深呼吸してノックしようとしたとき、中から話し声が聞こえてくることに気がついて、その手を止めた。

『レニ、どうしちゃったの?今日は一緒にフントの散歩にいこうねって約束したじゃない。』

『くーん、くーん…』

どうやら中にいるのはアイリスとフントらしい。マリアはそのまま中の様子を伺うことにした。

 

「レニどうしちゃったの?今日は一緒にフントの散歩に行こうねって約束したじゃない。」

「………うん……」

ひざを抱えて椅子に座りこんだレニを覗きこむようにしてアイリスが言った。フントもレニが抱え込んでいる毛布の裾にじゃれて、ねだっているようだ。

「今日はいいお天気だし。ね、行こうよ。レーニ。」

「………ごめん…アイリス……今日は一人で行って……僕、そんな気分じゃないんだ。」

「レニ……」

アイリスは淋しそうに呟くと嫌がるフントをそっと抱き上げた。

「…レニ…明日は…一緒に行こうね。」

「………」

レニは答えなかった。居たたまれなくなったのか、アイリスはフントを抱きしめたまま駆け出して部屋を飛び出し、ドアの外に立っていたマリアにぶつかった。倒れそうになるそのちいさな身体をマリアは抱き留めた。

「…マリア……」

呟いて、顔を上げたアイリスの瞳には涙があふれていた。

「マリア……」

アイリスはマリアの胸の中に顔を埋めた。

 

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