化粧
山崎あやめ
(…明日、か…)
深夜の自室の天井を眺めていたマリアは、もどかしげに寝返りをうった。
明日は大神が4人の候補の中からクリスマス公演の主役を選ぶのだ。きっと、その誰もが眠れぬ夜を過ごしているのだろう。
淡い期待を抱く反面、心のどこかに、選ばれないことを望んでいる自分がいる。
残された者たちの中に、悲しみに暮れる姿をどうしても見たくない顔があるからだ。
喉の乾きを覚えてマリアは起き上がり、ガウンを羽織って部屋を出た。
冷たい空気に凍った廊下を行きつくと、洗面所には明かりがついていた。既に誰かいるようである。扉を開けると、銀色の頭が鏡に貼り付いていた。
「…レニ…?」
マリアの呼びかけに、パジャマ姿のレニがぎくりとして振り向いた。その手から、何か小さなものが床に落ちる。足下まで転がってきたそれをマリアは拾い上げた。
「ま…マリア…あの…ボク…」
それは、舞台メイク用の口紅だった。見ると、レニの唇からは真っ赤な色が不器用にはみ出している。
その色もかすむほどに、レニの顔が赤く染まった。
「あ…あの…ちょっとつけてみたかっただけなんだ…その…」
うろたえながら、手の甲で乱暴に口元を拭う。そんなレニの様子に、マリアはやさしく微笑みかけた。
「あら、別に照れなくてもいいじゃない。レニだって女の子なんだし…」
言いかけて、ふと思い当たる。
「…明日の事が心配なの…?」
ぴく、とレニの頬が引きつる。
「ボク…だって…どうしたらいいのかわからないんだ…」
途方に暮れたような顔でレニが呟いた。
「ボクは…アイリスみたいに可愛くないし…すみれや織姫みたいな優雅さもない…。マリアみたいに綺麗でも…。背も低いし…体つきも、全然…胸とか大きくなくて、男の子みたいだし…ボク…」
言っているうちに、涙が溢れてくる。
「隊長に…選んでほしいのに…どうしたら…」
「…レニ…」
マリアはふっと笑った。
「…この色はいけないわね。舞台用だもの…きつすぎるわ。レニにはもっと可愛い色が似合うわよ」
「でも、ボク…化粧用品なんて、何も持ってないんだ…これもさっき楽屋から…」
「いらっしゃい。私のを貸してあげるから」
マリアはレニの肩を抱いて、自室へ招き入れた。
「ほんとのこと言うと私も最低限のものしか持ってないんだけど…そうね、レニは色も白いし、肌も綺麗だから、あんまりお化粧なんてしなくていいのよ」
レニを座らせ、化粧箱を開ける。涙の跡を拭いてやり、薄く紅をさしてやる。
「眼も大きくて、…とても可愛いわ。してるかしてないか、わからないくらいのお化粧がいいわね。口紅はこのくらい淡い色で…」
一番やわらかな色を選んで、そっとレニの唇を縁取っていく。レニはじっと眼を閉じて、マリアがするのに任せていた。
「…こんな感じかしら。ほら、眼を開けて、鏡を見てみて」
机の横の、大きな鏡の前にレニを立たせる。もともと愛くるしいレニの顔が、わずかな化粧でさらに輝きを増し、鏡の中から見つめ返している。
「…これが…ボク…?」
呆然として佇むレニの後ろに立ち、マリアは細い肩に手を置いた。
「…でもね、こんなことしなくても、充分レニは可愛いわよ…それに、大事なのはお化粧なんかじゃないの」
鏡に映るレニの瞳を覗き込みながら、その頬を後ろから指の背でそっと撫でる。触れるか触れないかで逃げた感触を追うように、レニの頭が揺らぐ。
「大切なのはね、あなたが隊長の事を思う心よ…。それが、一番あなたを可愛く、女の子らしくするのよ」
「ど…どういうこと…?」
「隊長の事を考えてみて…。隊長のことをどう思うの…?」
マリアの指が、レニの髪を整えながら、耳の縁に触れた。レニのうなじに一瞬細波が走る。
「隊長…隊長のことを考えると…胸の、奥が、…痛いんだ。きゅうっとして…」
「それから…?」
「…隊長のそばに…いたい…ずっと…隊長の腕にもたれたり…」
「…それから…?」
レニの顎を持ち上げて、顔を寄せる。
「こうして触れてほしい…?」
「マリア…?」
甘い香りのする唇に、そっと口づけた。レニの体がこわばり、小さな肩がこまかく震える。が、マリアの唇のやわらかさと溶け合うにつれ、その力が抜けていく。永遠のような長い時間を経てようやく顔を離し、レニが水底から上がったように、深く呼吸をする。
「こうして…隊長に口づけてほしくない…?」
驚いたように眼を見開いて答えないレニを背後から抱きしめ、マリアの手がパジャマのボタンをはずした。長い、白い指がその胸元に滑り込む。
「あっ…」
「胸なんて、すぐ大きくなるわよ。ほら…こうするの」
手のひらにすっぽりとおさまる愛らしい膨らみを、まわすようにやさしく撫でさする。浮き上がった堅さが、マリアの指の腹に当たってころころと弾かれ、そのたびにレニの唇がわななく。
「あ…あ…や…やめて…」
レニがかすかに身をよじり、布の上からマリアの手をおさえようとした。逆にその手にもう片方の手を重ね、胸元へと導き入れる。
「心地良いでしょう…?隊長に…こうして触れてほしいと思わない…?」
唇でレニの耳をついばみながら、マリアが囁きかけた。そのまま口づけながら喉元へと下がっていく。重ねた手はレニの手の上から、わずかに芯ののこる胸をゆっくりと揉みしだく。
「…はあ…っ」
はかなげな溜め息が、レニの唇から耐えきれずに漏れいでた。その眼は、おののき半ば閉じられながらも、鏡の中で蠢くパジャマの胸から離せないでいる。
そのせつない声をきくと、マリアの胸に甘美な痛みが走った。媚薬を打たれたような痺れとともに、愛おしさが込み上げてきて、その声をもっと聞きたいと思う。
自然とマリアの手がレニの細い腰の線をたどり、臍のまわりを撫でて、パジャマのズボンをくぐっていく。助けを求める子供のようにレニの手がそれを追うが、止められない。
マリアの指先が熱い潤いに埋もれ、レニがびくん、と体を震わせる。
繊細な構造を確かめながら、マリアがそっと指を動かす。その動きが自在になるにつれ、レニの呼吸が乱れ、きつく瞑った眼から滲んだ涙がまつげを濡らす。
「あ……う…っ…」
風になぶられる頼りない花のように、マリアの腕の中でレニが震えている。小さな顎がせいいっぱい上を向き、耐えきれずに喉をしならせてマリアの胸に顔をうずめる。なんともいえない可愛らしい呻きが、その喉から途切れることなく聞こえてくる。
たゆまずに指を動かしながら、その耳に吐息を吹き込むようにマリアが囁いた。
「隊長に、こうされたら…どんな感じがするかしら…?」
「…隊長…た、い、ちょう…あ…あああっ…!」
その想像はレニには強烈だったようだ。噎び泣くような悲鳴をあげて、大きく体を反らせる。そのままがくがくと震え、ふいに全身の力を失う。
崩れ落ちそうになるレニを膝でささえ、マリアのしなやかな腕がレニの体を巻き込んだ。
「眼を開けて…レニ。鏡を見てごらんなさい…」
初めて味わった快感の余韻に喘ぎながら、言われるままにレニがうっすらと眼をあける。
いつも無表情に見開かれている瞳はきらきらとうるみ、上気した頬は淡紅色に染まっている。ぽっかりと花が咲いたようにガラスの中で匂い立つ自分の姿を、レニは声もなく見つめるばかりだった。
「綺麗よ、レニ…。女の子はね、好きな人の事を考えて…その人に愛されたいと思っていれば、いくらでも綺麗になれるのよ…」
うっとりと囁きかけるマリアの声を聞きながら、レニはもはや自分で立っていることもできないようだった。あるかないかの重みがマリアの胸に加わり、そのままがっくりと沈む。
息も絶え絶えなレニの半ば脱げたパジャマを直して、小柄な体をそっと抱き上げる。レニの部屋に運ぼうと思って、ベッドのないことを思い出し、自分のベッドに横たえた。きつく毛布を巻きつけてやり、枕元にひざまづく。
「明日、集合の前にもう一度お化粧をしてあげるわ…。大丈夫…きっと隊長はあなたを選んでくれるわよ…安心しておやすみなさい…」
髪を撫で、額の透明な汗を指先で拭ってやる。レニがマリアを見つめながら唇を震わせ、何か言おうとした。が、そのまま長いまつげが合わさって、かすかな喘ぎは静かな寝息に変わっていった。
(もうすぐ16になるのね…)
レニの寝顔を見つめながら、自分の16歳の時のことを思う。機械のように人を殺すことしか頭になかった。自分の生などどこにもない、からっぽの心と体。
危うくレニもそうなるところだったのだ。それを救ったのは大神だ。
大神の事を思うと、マリアは胸が締めつけられた。…大神が自分を主役に選んでくれる。一緒にクリスマスや正月を過ごし、戦場で肩を並べ、力を合わせて戦う…。それは甘美な夢だった。
だが、自分は大神には不釣り合いだ、という思いをマリアは悲しくも拭い切れないでいた。それに、レニがもと来た道を戻っていってしまわないためにも、レニには大神が必要だ。自分ではなく…。
大神にも、レニにも寄り添うことはできない。自分は一人で生きていけばいいのだ。人に深く関わることなどないほうがいい。大丈夫。生きていける…。
そう思いながら、ロケットを握り締める手に、なぜか熱いものが喉を伝って流れてきた。
《了》