草 露
-そうろ-
風が吹いた…酷く湿った風が。「弦月、お前、剣をやる気はないか?」
「本当ですか!」
鍛錬を続けている俺の背後から声がする。俺は即座に返事をした。師父は、にこやかにそして何か思い詰めた顔をして俺の顔を見る。
俺が普段使ってる刀よりもっと憧れていた剣。俺が習いたいと言い続けてもう大分立つが、今まで何度言っても聞き入れてくれなかった。
「剣は、お前みたいな奴ではなく、もっと高貴な方がやるもんだ」
そう言って、剣にすら触らせてくれなかったのに。「そうだな…お前が今やっているのが終わったら、祭壇へ来い。そこで始めよう」
俺が日課の鍛錬をしている途中なので、少し考えてから師父はそう言った。
俺もその言葉にうなずくと、慌てて稽古に戻る。
もう既に心は以前、少しだけ見たことのある剣の型の方に飛んでいたが、鍛錬をさぼってばれたら最後、二度と教えて貰えないだろう。
とにかくこれだけはまじめにやらないと行けない。だけど、剣を習うのに祭壇なのだろう?
剣舞という言葉もあるが、基本的に剣は人の命を絶つものだ。守護を生業とする一族である自分たちの祖先が眠る祭壇と言うことに少し疑問があった。
「もしかして…見せられないのかな?」
決められた回数をこなして、汗を拭きながらその考えに行き当たる。
とにかく、師父の元に行こう。そうすれば全部教えてくれるはずだ。
俺は、散らばっていた用具をまとめると師父の言っていた祭壇へ向かった。「弦月。やっと来たか」
師父は振り返らずに、俺の足音だけ聞き分けてそう声をかけた。
俺がそれに答えると、師父は手振りでいつもは開かれている祭壇への扉を閉めるよう指示をする。その作業を終わると、祭壇の前に座り、しばらく目を閉じてしまった。
慌ててそれに従って、目を閉じていると、師父の声がする。
「弦月。お前に教える前に少し話がある」
師父の声は、普段から厳しいものがあったが、今日は又別の感じを受ける。
何か寂しそうなそんな声だ。
「なんでしょうか」
「お前は、儂達の使命を覚えているな?」
「はい。黄龍の穴を守護することです」
「その為だけに、我が一族がある。良いか?お前の力は、ただ龍の眠りを護ることの為だけにあるのだぞ」
幾度と無く繰り返されたその言葉を又聞いた。師父がその使命のために闘ったのは17年前。その時には日本から来た<<力>>ある者。弦麻殿達の犠牲で助かったと聞いている。
だから、俺達は残された弦麻殿の息子殿の守護もしなくてはならないと常日頃聞かされてきた。
剣を教えるのに当たって、再度確認したかったのだろうか?
「はい。解っています。我が力、龍と共にあり。龍の行く道を照らす月でありたいと思っています」
俺がそう言うと、師父はため息を一つ付いた。
「いつまでもそう思ってくれると良いのだが…」
「え?」
「お前は、一族の中で一番<<力>>が強い。その分、情にながされやすい。いいか?決して情には流されるな?<<力>>の強い奴はその分魅入られることが多いのだ」
力と情との関係は、昔聞いたことがある。強ければ強いだけまたその情にも厚いのだと。
昔師父達と共にいた弦麻殿も、その力が強いだけに、その犠牲になってしまったと、幼い頃師父が酒に酔った勢いで聞いたことがある。
「だからいいな。お前は護る為の存在だ。その力であらゆる力を止めなくてはならない」今日の師父はなんだか変だ。いつもと感じが違うことに気が付くと、何かを察知したのかと師父の少しだけ変化した表情を見た。
それに気が付くと、ゆっくりと座っていた場所から立ち、手元にあった剣をこちらに渡す。
「時間がないな。それでは始めようか?」左手で軽く剣指を作り、師匠との間を制するように剣を構える。
師匠の方も、ほぼ同様に俺よりも更に重心を低くして構えた。
「ま、そんなところだろう。そのまま斬ってみろ」
どうしてかいいか解らずにいると、いらついたように師父の声が飛ぶ。
「刀のままでかまわん。斬ってこい」
そう言われて、型の通りに進めてみる…が、刀の型は両手で扱うのに対して、剣の方は片手で扱う。
初めは、剣の方に手を添える形で振るっていたが、喩えようもない違和感があったので、昔聞いた事を思い出し、徒手の型に切り替える。
剣の長さの分、いつもとは勝手が違うが、剣を拳の延長として意識をすれば、それほど違和感があるものではない。
その様子を見た師父は満足そうにうなずいて、先ほどよりもゆっくりと技を繰り出す。
どうやらこちらの攻撃にあわせて、剣の型を出しているようだ。
俺は、その動きを忘れないように、師父の動きに意識を集中させた。
又何か風が起こる…
いやな音と生臭い風だ。
師父の動きと嫌な風に注意をとられて、俺は気づかなかったが、師父が何かを感づいたように、こちらから視線を外した。
俺は、その機会を逃さず突きを繰り出す。師父はその攻撃は読み切ったといわんばかりに軽く剣を添わせたかと思うと、凄い勢いで引き込まれた。
正確に言うと、自分の勢いを逸らされたのだが、こちらの体勢を直す間もなくそのまま肘と蹴りが続けざまに入る。
「ぐっ…」
その声だけ出して、俺はその場に倒れたらしい。
そのまま気を失ってからどのくらいたつのだろうか?
普段だったら、すぐに師父によって起こされて説教が始まるのだが、その様子はなさそうだ。
それ以上に凄くいやな予感が生臭い臭いによって引き起こされる。気が付いてから顔に当たる液体がその原因のようだけど…
「し、師父?」
先ほどから頭に被さっていた影を見上げると師父の大きな体があった。
そして顔を撫でてみると液体で手が染まった。
その液体は、少しずつだが、止まる気配はない。
その液体が何であるか、光に当ててみればすぐ理解できたのだろうが、血であることを理解するのには、少し時間が掛かっていた。その間もその液体は小さい音を残しながら降っていた。
状況が理解できてから慌てて立ち上がると、師父の肩から胴にかけて背後から斬られておりその隙間から既に弱くしか打たない心臓が見えた。その心臓も、俺が見てる間に動かなくなった。
そして、その役目を終えたようにその体であったものは崩れ落ちる。
慌ててその体を床に横たえて、俺は初めて周りの状況を理解した。自分を取り巻く風景は、何も変わらない。壁の一つにも傷一つはいっていない。しかし、血を流し息絶えているものが居て、周りにはあれほど賑やかだった人の気配が全くなくなっている。
その光景が信じられなくて、ふらふらと村中を歩き回っても同じようにだれも動いてくれる人は居なかった。
「そんな…一瞬で壊滅したというのか?そんなことが出来る奴は…」
あいつしか居ない。もしかして17年間も生きていたのか?
気を抜くと逆流しそうな胃を押さえて、いつもは厳重に封じているはずの岩戸へ向かう。
封じられている岩戸は開け放たれ、入り口付近には岩の上に今まではなかったはずの大きな傷跡が刻まれている。
「馬鹿な…弦麻殿たちの犠牲は無駄だったって言うのか?」
一度村へ明かりを取りに行き、岩戸の中に入る。もう既に人の気配はない。
足下に気をつけながら、奥に歩を進めると、行き止まりを目前にして何かが足に当たった。石とは違うその感触に膝をついて拾い上げる。
砕かれた人の骨だ。ついさっき砕かれたばかりのように、周りに粉が散乱している。
「これは…弦麻殿か?」
多分、奴が出るときに、封じられた恨みを示したのだろう。
巻いていたバンダナを広げ、それを含めて彼らの遺骨をかき集めた。
そして、少し段差になっているところに視線を移すと、きちんとそろえられた弦麻殿の遺品らしい手甲と短い手紙がおかれていた。
それを悪いと思ったが、目を通す。長い年月を経たその紙は風化を免れては居なかったが、幸い文章は読みとれる。ただ一言その紙には、
「縁と無縁でいられるよう」
と書き記されていた。それも持っていた袋に入れると、一礼してその場を後にした。
その場にいると、言っては行けないことまで言ってしまいそうだったから。その後、二日ほどかけて村中の者を弔って、一人祭壇の前に座った。
あの直前に師父に言われていたことを思い出す。
自分は、龍の眠りを護るためだけに存在することを。
「そう。確かに龍の眠りを護るためだけに存在する。だけどな。それ以外に俺にはやりたいことが出来た。だから…しばらくここを離れる。戻ってくるときには、今度こそ起きてこれないように首を持ってくるからな…しばらく待っていてくれよな」
そこにいるはずの一族の者や師父にそう言うと、弦麻殿の手紙と形見である手甲をもってそのまま村を出た。日本に行き、もう一人の忘れ形見に会うために。
[後書き]
後書きでも何でもないんですが…
家の劉君の大元は、[鬼]と言う感じで書いてます。それも柳生に対しての怒りではなく、自分に対しての怒り、嘆きで鬼に変化したという。
まだ完成していないタイトルだけのSS[嘆きの鬼]は彼と京一のことを指すつもりですが…
菩薩の傍らにいるときだけ、慈悲を守る鬼神となる…いかがでしょうか?
この話を書くに当たって、中国の剣について教えてくれたRさんどうもありがとう。