うたうたい
「アンタさぁ、闘いになると途端に元気になるのなぁ」
「へ?」
「生き生きとしてさ、まるで普段の方が非日常みたいだ」
「…そうか?」
ちょっと驚いた顔で雪乃は、雨紋の方を向いた。
「そう思うか?」
「俺様としちゃ、敵には回したくないね」
再度聞き直した言葉に、肩をすくめながら雨紋は答える。
見とれてしまうからと言う台詞は、喉の奥にしまい込む。
それを言ったら、この姐さんは、その姿を見せてくれなくなるだろう…多分。
「そう言われると、安心するな。少なくとも足手まといにはなってないんだな」
にやりとする雪乃の表情は、未だ戦闘の興奮から冷めていないらしい。
雨紋にとって、雪乃は強気で陽気で、自分が好きになれないタイプ。だが、全然別の意味で惹かれるタイプ、勝利を確信できるタイプだった。
「味方としては申し分ないケド、もう少しおとなしくしないと、嫁のもらい手がなくなるぜ」
「お前こそ、その減らず口少しは減らしとけ!」
よく見られている、雪乃は雨紋を少し見直していた。
確かに戦場で得物をふるう時、日常にはない充実感がある。
怖いという感情を持った記憶もない。自分が傷つくのには何故か構わないと思ってしまう。
怖いのは、この場にいられなくなるかも知れない自体の方だ。
それは、昔師匠に言われた『力を振るいたいという欲望』なのかも知れない。自分はただ、目の前にいる敵を蹴散らすだけで精一杯なのに。
だがその高揚感と裏腹に、終わった後の喪失感は否応なく彼女を取り巻いている。
ふるえが止まらない。こんなに自分が弱いことを思い知らされる事はない。
何で、他の人はこの光景を見て大丈夫なのだろうか?
…悔しい。
…苦しい。
何で、助けられなかったんだろう?何で討ち取ってしまったんだろう?
そんな気持ちが絶えず自分に問いかける。自分の方がその答えを知りたいのに。
…悲しい。
…怖い…オレが?
そう感じながら焦点の合わない視界は、濡れた感触の手に向いた。
大分冷たくなった風を受けて、すっかり冷え切ってしまっているのに、濡れた掌はまだほのかにぬくもりを持っている。その熱も強い風を受けて、あっという間に水分の冷たさに代わった。
目を惹いて仕方がない緋色。
自分が討ち取った敵の内部にあったもの。奪ったものを象徴する色。
慌てて目をそらせて…軽く頭を振ってもう一度目を戻す。
先ほどまで視界に入っていた緋色は、少しずつ幻だったように薄れていく。
「…こんな風に全部幻だったらいいのに…」
誰に聞こえるでもない言葉が、雪乃の口から漏れる。
その色をもう一度視界に納めようと、視界にその色を求める。
視界の先には、自分が手にかけた…獲物。
もうすでに仲間はその場を思い思いに離れようとしていたが、雪乃だけは虚ろに一点だけを見つめていた。
やがて、雪乃の口が何かを唱えるように動いたかと思うと、のろのろと見つめていた場所に足を進め、力無くひざまづく。
先ほどまで自分たちに向けて吠えていた鬼は、地に伏していてもう既に動かない。
それを愛しげにゆっくりと撫でる。肩口を、そして…その髪を。
その感触は、鬼に変化する前の姿を雪乃に伝えていた。
巫女としての能力は、妹の方が遙かに強い。
そのかわり、人の思いを読む力は雪乃の方が鋭い。
人のこころをよりはっきりと認識する力。
普段はその力を相手の攻撃を読む為に使っているが、本来はこのような事に使用するのだろう。
昔嫌々ながら覚えさせられた、鎮魂の祝詞。
記憶をたどりながら、口に乗せていく。何だか一語一語を流す度に空気が柔らかくなるようで。
こんな事で、彼らが救われるとは思ってはいない。自分の自己満足かも知れない。
そう思えるが、自分だけは彼らのことを覚えていることが、必要だと感じていた。
歌?
かすかに聞こえてくる言葉に帰りかけた足を止め、雨紋は振り返った。
視線の先には、長物を有する一人の女性。
声は彼女のものに聞こえる。
普段自分を鼓舞するように勢いのある声とは違い、儚くてもの悲しげな謡いに、何だか胸が痛くなった。
日本の古来の歌、それは神事に使われた歌。
そんなことを思いだしながら、雨紋は引き寄せられるように元来た道をたどり直す。
「姐さん…」
そこまで言って、彼女の光景をもう一度見直す。
その姿の彼女は、いつもよりも小さく、護ってやりたい気になる。
でも…多分、こんな光景は彼女は見られたくないだろう。
そこまで考えて彼女に歩み寄った足を止める。間は一間。普段なら気が付かれてしまう距離だけど、彼女がそれに気が付く様子はない。
名残惜しかったが、それ以上足を進めることを止め、彼女に背中を向ける。
彼女が見えなくなると、先ほどまでの光景を独り占めしたい衝動に駆られ、他の人から見えないように立ち上着を脱ぎ、後ろ向きに放り投げる。
上着の落ちる位置は、先ほど見た彼女の上だ。
「何だ?」
急に振ってきたものに驚き、雪乃が声を上げる。
慌ててその物体をかき分け、降ってきた気配に気づかなかったことに又驚く。
払いのけたはずのものが何かに押さえられてまた被さったときに、そのものが学生服の上着であることに初めて気が付いた。
その上着越しに立つ人物も。
「…雨紋?」
小さく相手の名前を口に出して初めて、雪乃は自分の声が湿っていることに気が付く。慌てて頬に手をあてて水分をぬぐい去る。
「寒くなってるんだ。肩冷やすぜ」
雨紋は振り向かずに、返そうとする雪乃を止めた。
誤魔化したのを気づかれただろうか?そんなことを思うと照れくさくなる。
ほぼ同時に雪乃の方も、考え込んでいた間の状況を思い返したのか、顔が赤く染まった。
「ほっとしたら、涙腺ゆるんできちまったぜ…今回はきつかったしな」
雪乃が明るい口調で、弁解をする。ちょっと途中で空白が入ったのは、腕で目をこすったせいだろう。相変わらず背を向けている雨紋の方を向かずに話しかけている。
その言葉が嘘だと言うことを、雨紋は何となく感じていた。
この人は、多分…自分のためには泣けない。証拠はないが、確信はある。
限りなく優しい。そんな優しさが弱いことを知っている。
この人は凄く強い。だけど…
この人は自分のために、泣く事を知ってるのだろうか?
人のために一生懸命頑張って、傷ついて。
それを自分のためだと言い張るのだろう。この姐さんは。
「頑固な姐さんだぜ。全く」
落ちてしまった前髪を掻き上げながら、言うつもりのない事まで雨紋は口にした。
「誰が頑固だって?」
途端に不機嫌そうな雪乃の声。
「胸に手を当てて、考えてみな…おっと」
言い終わらない内に、不意に風を感じて持っていた槍を下に突き刺す。
思った通り、槍の手前1pの処に薙刀の刃の部分が止まっている。
冷や汗を隠しながら、下の雪乃を見ると先ほどの不安そうな雰囲気は消え、いつもの雪乃に戻っている。照れ隠しでもない、いつも通りの彼女だ。
「…さすがに決まらなかったか。残念」
雨紋が気が付いた事が嬉しいのか、残念と言いながらにこやかに、それでいて悪戯がばれたことがちょっと惜しそうな表情。
「ほら、何ともねぇぜ」
「あ、姐さん!」
雪乃の平然とした声と反対に、雨紋の少しうわずった声。雪乃が不意に立ち上がり胸に手を当てたのだ。雨紋の胸に。
見上げる雪乃の顔が、満足そうに笑う。そのまま当惑している雨紋の脇で風と小さな声が通る。
「肩冷やすぜ、寒いんだからな」
慌てて振り返る肩に、雪乃にかけたはずの上着が掛かる。
…ちくしょう!負けだ負け!
悔しくなってその場に座り込む。
「かなわねぇな、どんなときにでもさ」
遠くなっていく雪乃の背中を見ながら、頬杖をつく。
弱いところをつかんだと思ったら、あっという間に逃げられる。
「猫みてぇな奴」
そう悪態をつくのが精一杯だった。
・後書き
雨紋・雪乃です(笑)
当方、普段主人公・雪乃と言っておりながら、これです(苦笑)
後半部分と前半部分と雪乃の性格が全然違うみたいですけど、人といる時と、自分だけの顔。やっぱり違うような気がして書いてしまいました。
強いの意味、闘いの意味、技の意味。そして結果。深く知れば知るほど、自分の弱さを感じることが多いです。
言ってはいけない台詞ってあるんですよね(笑)墓穴を掘るって言う言葉があるとおり。
私の考える雪乃って、無意識的に結構大胆な行動とってますね(苦笑)
…でも、雨紋君、雪乃の一言一句に見事に翻弄されてないかい?(笑)