無銘の刀
-むめいのかたな-
「…珍しい…」
堅くしまった雨戸を見上げながら、そう呟いた。
ここは如月骨董店の入り口。店主の気の向いた時にだけ開店するという話だが、俺はこの店を知ってからしまっているところを見たのは、今日が初めてである。
普通ならここできびすを返して、おねぇちゃんをナンパに行くところだが、今日は何となく扉の向こうに何かあるような気がして、帰る気にならない。店の裏手に回って庭の方へ出る。
どうやら、家の方にいそうな気がする。
裏口にまで回るのが面倒なので、垣根を乗り越えて庭に入った。
警戒用の仕掛けを、以前聞いた話を頭の端に置いて避けていく。
当然ながら、家の当人に気づかれないように気配は消したままだ。
そこら辺は、この家の住人の方が数段上手だが、そこら辺は意地というもので、どうにかして驚かせたい気持ちもあった。外からの光で障子越しに解らないように計算して、縁側に上がり込むと息を一つ大きく吸う。
腹の中に空気をいっぱい取り込むと、障子を一気に開けた。「よぉ!…やっぱり今日は掘り出し物があると思ったんだよなぁ」
今に広がる仕入れものであるのであろうものの数々を、眺めて俺は自分の勘が当たったことに満足していた。
声を掛けられた店主は、驚いたのか、手にした皿をそのままで固まっている。「…蓬莱寺君…君に一本取られるとは思わなかったよ」
しばらくして冷静になった如月は、手早く俺の興味がありそうなもの以外をしまってしまうと、言葉とは裏腹に商売用の顔になっていた。「相変わらずいい目をしてんな。その手の奴が見たら、全財産をつぎ込んだってかまわねぇもんまで入ってやがる」
具足を始め、いい品ばかりだ。
最近は、俺達が旧校舎から集めてきたものも多いが、それに負けないようにしてるのか、どこから知らないがいいもんを集めてきている。適当に目をやってると、刀身だけの日本刀に目が止まった。
見たところ…ん?銘がない??
風格とか、どうみても名刀の類に入るだろうし、大分古いものだろう。
…なのに、銘がねぇってことはどう言うことだ?「気になるかい?」
「ああ。良く見つけてきたな。こんなの」
俺の動きが止まったのをみて、如月がにこやかな顔になった。
自分の目を評価をして貰ったのが嬉しいらしい。
「…さすがに銘がないからね。かなり安かったよ」
「だろうな…」「興味があるなら、自分でやったらどうなんだい?」
俺の外すに外せない視線を楽しそうに見ながら、如月が声を掛ける。
「それはまだ、お前の処の商品だろうが。俺が触るわけにもいかねぇだろ」
俺の苦情に、嫌そうな表情になる。その理由を持ち出されては、店主として文句が付けられない。作業を中断して、ばらしてあったものを元の姿に戻していく。
慣れているせいか、あっという間にそれは終わる。
「これでいいかい?」
そう言って、自分の息が掛からない位置に両手で捧げ持つと、こちらに渡してくる。
「って、お前の処の商品だぞ、俺が触るわけにはいかねぇ」
もう一度、先ほどの台詞を繰り返す。触ってみてぇのは、山々なんだが、ものがものだけに慎重になる。
「ここから先は、君に鑑定をお願いするよ。ちょっと気になることがあるんだ」
さっきのお返しとばかりに、返されたその言葉には、承諾せざるを得ない。
奴は、骨董として鑑定したいのではないと言うことが解っていたからだ。
それなら、仕方がない。そのまま受け取って、左脇に静かに置いた。鍔に指をかけ、少しだけ力を込める。
手の内のものは少しの抵抗もなく、すっとその姿を現した。
「…む、無銘だったよな…こいつ」
目は少しだけ切った鯉口から、離れられない。
如月も覗き込んだ姿勢のまま動かない。
二人が感じていたこと…これは、紛れもない名刀。「まさか…そんなことがあるのか」
如月が珍しく、興奮の色を顔に出す。
「間違いねぇな。多分俺にもこれは押さえ切れねぇぜ」
切った鯉口をもとに戻して、目を閉じる。意識だけは手に触れている得物から離さない。大きく息を吸い直して、自分の気を取り戻す。
「少しどいててくれねぇか?そのままだったら、斬ってみたくなる」
当然、俺にはそんな気はない。
だが、念のためだ。
妖刀ではない…この剣から伝わってくる気は静そのものだ。だからこそ、怖い。
刀ではなく、自分の理性が。
切った鯉口の奥に佇んでいた刃は、俺のこころを呼んでいなかったか?
俺の作られた本能に訴えてはいなかったか?
…軽く頭を振り、目をあける。一閃。俺の声と剣が発する鈍いうなりが自分の耳に届く。
気合いにしては、大きすぎる声。
何かに対して吠えている自分。
何かを断ち切るのと同時に、自分の中で何かが生まれる感触。
歓喜・恐怖。正反対の感情が同時に身体を支配する。
このままこいつと一緒にいたら、離れられねぇ。いろんな感情の中に少しだけ残った、冷静な部分がそう訴えると手の内を緩めて血振りの動作に移した。
刀に魅入られている自分の中の波が、少しずつ落ち着いていくのを感じるとそのまま刀を納める。
「…業物ってランクじゃねぇ、大業物だ」
俺のため息と同時に出た言葉に、先ほどから空を見ていた如月が返事をする。
「名工の品だね。多分何かの事情があって、わざと銘を入れなかったんだろう」
「…本来の用途以外に、使われたくなかったんだろ」
思ったことを口にする。作られた年代なんて俺には分からないし、そんなことは如月の領分だ。だが、何となく手にして解ったこともある。異常なほどの使い良さ。そして使い込まれていること。「刀が美術品になってしまったのは、いつからだったんだろうね」
如月が少し寂しそうに笑った。骨董店を営む奴からすれば、それは少しおかしい台詞だろうが、俺にはそうは思わなかった。「太平の世になっちまってからさ。だから、こいつは無銘なんだ」
確信を持って言い切る。太平の世になってからも、こいつはその役目を果たすために作られ、使い続けられてきたんだ。
そしてなぜだか、この刀が酷く自分のために作られたような錯覚を起こしていた。その考えを振り払うように、軽く頭を振る。
「こいつを手にしてたら、俺は…こいつに頼っちまう」
俺は呟いた。如月もその告白を聞き流そうと努力してくれるのが解る。
せっかく稜の側にいて、俺に何が足りないか解りかけていたのに、楽な道を歩きたくないその想いが、その刀の執着を断ち切った。「やっぱり、俺はこいつの方がいいや」
刀を如月の方に先ほど奴がやったように返すと、相棒を自分の脇に寄せる。
「君が刀にこだわらないでくれてるのは、それだけかい?」
それまで黙っていた如月が、俺から刀を受け取って意味ありげに笑う。
すっかり見透かれているその目を、思いっきりにらみつけるとすっかり冷めてしまったお茶を流し込む。
これじゃ、俺の圧倒的不利じゃねぇか。
骨董品屋というのは、物に込められた心を買うような処だが、如月は相手の心も見透かしているんじゃないだろうか。だけど、口は開かない。
いつか、こんな喧嘩剣法じゃなくて、師匠を超える剣を身につけて、自分の流派を開く。
師匠に習っているころからいつの間にか夢見ていた夢を、もう一度自分の手の内の刀が見せてくれた。
だけど、今如月の奴に話すつもりはない。この夢は誰にも言わない。
俺はそのことを顔に出さないように、もう一つの理由を口にする。「俺は刀はまだ早すぎるんだよ」
「…早い?それだけの腕を持ちながら?」
今度は、如月の方が驚いたらしい。表情は先ほどからあまり変わらないが、そんな気配がする。
「昔な、俺が真剣で師匠が木刀でやったことがあってな…」
「それで?」
「勝負どころの話じゃなかった。打ち合う前に俺は負けてた。だから師匠に勝つまで、刀はもたねぇ。そう決めたんだ」
比喩なんて話ではない。もう構えたときには勝負はついていた。師匠の構えを見て、俺は普通の構えすら出来なかった。
その師匠を超えなくては、真剣を握る意味など無い。「それでは、これはしばらく取っておくことにするよ」
「…俺の話を聞いてたか?」
機嫌の良さそうな如月の声に、不満の声を上げる。
「聞いてるよ」
「ならどうして」
不満の声に反応のない如月を見て、余計気になる。
「道具にも心はある。どう見ても、これは君につかって欲しいみたいな事は解る…だから、君がこの刀にふさわしい頃になったら取りに来てくれ」
「買うとは言ってねぇぞ」
「どうせ取りに来るときには、君の夢が叶ってるときだからね。お祝いだよ」俺の夢を知ってるかのように如月が笑う。そんときゃ腰にこいつがあってもおかしくないかもな。
箔付けに高価な名のある刀を持ちたがる奴が多いが、無銘の名刀のこいつを持つのが、相応しい。
「それじゃ、それまで大事に保管して置いてくれ」
俺はそう言うと、席を立つ。
「早くそいつに見合うように、修行してくるからよ」
・後書き
ちま・ちま・ぱらだいす様の魔人ページのタイトルと同名の作品です。
そのご縁でこの作品を進呈しました。
いろいろと書きたいことは多いのですが、作品に大半書いてしまいましたので。