「セガさんは本当に賭けをするつもりなのだろうか?」これが今現在中原が思っている最大の疑問点です。
制作者サイドから見れば、サクラ3の構想は今までとどんなに変わってしまっても構わないかも知れない。それに経営者サイドは採算がとれ、これ以上のファンの獲得が出来ると判断しているのでしょうか?
今の時点では情報が少ないと思います。情報があちこちから聞いた話だがと言うのを聞いています。しかし、表に流せる情報とそうでない情報があります。つまり要所は流すことはせず、少しずつ情報を流すことで注目を集め続けるということは当然のことだと思います。
なのでどう動くのかは、この後しばらく見ている必要があると思います。
公式は絶対。リークはあくまでも不確定ですから。リークから辿っていくのもありですけれどね(^^;
ファン以上にサクラを愛しているスタッフさんがどう動くのか解りませんが、それを静観していこうと思っています…プレイヤーサイドとしてましては(^^;
SS書きとしましては、今回のことは非常にショックを受けております。今まで考えていたSSの構想をふっとばすくらいには。
太正の帝都。そこに舞い散る桜の季節と桜の季節。その瞬きする位に短い時間を精一杯生きて、大切な人たちを護ろうとする彼女たちの話に惹かれていたのです。
日本人が欧化の波にのまれて手放している文化、伝統そして思いというのが、かろうじて片隅に残っていて、それが日本人特有の雑多な雰囲気に変化している古き良き時代。その中で多分元気の良い彼女たちの活躍を帝国華撃団や帝国歌劇団の両面から語っている弁士の人たち。それに応対するように茶々を入れる観客。その雰囲気の中を自分は歩いているような気がしていました。
そしてその歌劇団のメンバーが替わってしまっても、太正という夢は昭和というものになり、悪夢になることはないと思っていました。
舞台が変わっていくことで、自分の歩いていた太正という土地がなくなってしまったような寂しさを感じています。それが今、一番辛いことなのです。
キャラクターが替わっても良いという発言を先ほど書きましたが、お前はマリアがいなくなってもいいのか?と聞かれましたら、返事に窮するでしょう。
中原にとっては、マリアという女性は、自分の作品を見事に演じてくれる惚れ込むべき役者さんであります。そして彼女を書くことで、今まで口にすることが出来なかったいろんな事を引き出してくれる相談者でもあります。
そして中原が知らなかったいろんな事を探すきっかけを、作ってくれる水先案内人なのです。
彼女の行く先を見てみたい。また彼女と共に時間を過ごしたい。それはいろんな意味での願望です。でも消えることがないのなら、自分の中に残るのなら、お別れとしても仕方ないかも知れません。
自分は、自分の書いた作品のマリアのことは絶対に忘れることはありませんし、他の作者さんの書かれたマリアも覚えていられる限り覚えていたいと願っています。
そしてこのままサクラの3をやりまして、マリアがいなくて、もしも描きたいと思う人が出てくるとしても、多分それは私がマリアに対する視点とは、全く違う視点で描くものになると思います。
19991020 中原 陵成 拝
|