こう書いてみると恥ずかしいものがありますが…(^^;
ここは中原のマリアへ惹かれるいくつかのツボをちょっと冷静に書いてみます。
多少自分の作品のネタバレもありますが、笑ってお見のがし頂きますよう(^^;
ここもネタはあるので、随時更新…予定です(^^;
これが一番、最大の理由。
羨ましい。
大切な人を失って、悲しんで迷って自分の心を押し込めてまでしているのに、似たような思いをさせないために、まわりの人たちには気づかないくらい自然に優しい。強いんですよ。それが羨ましいというか、敵わないと言うか…惚れきってしまうわけです(苦笑)
時たまその想いが空回りしている事もあるけれど、それもまた可愛かったりします(笑)
大人のマリア・子供のマリア
マリアの中に二人いると思うんですよ。大人のマリアと言いますか、自分に与えられた役割を黙々とこなす有能な人間。自分の中にそんなものを描きつつ演じているマリア。
それと甘えたいのに、甘える術が解らなくてもの言いたげに見つめている子供のマリア。
みんなが楽しく騒いでいるときに、注意するマリアって何となくそんな感じがするのは、中原が腐ってるせいでしょうか(笑)
中に入りたいのにうまくできなくて、その内自分の役回りとして注意する方に回ってしまう。ついついきつく言ってしまう。
そんな風に見えてしまうのは、最近のマリアはさりげなくその場を治めてる風に変わってきているからでしょうか?
実は殉職シーンのマリアが好き
殉死シーンというと、みんな凄いのですが…ラストになればなるほど演出が短くなるのは不満だったりします。
最後の我が儘というのは、「自分が死んでも覚えていて欲しい」と言うこともあるんじゃないのかなと。
護られた人は、その為に亡くなった人の思いも引き継がなくてはいけない。それは、とても辛いことです。
破滅を願っていた彼女にとっては、望む事は許されないはずの最後だと思うんです。
ロシアの地で散っていった人たち、ユーリ隊長。紐育ですれ違った人。いろんな人たちのそういう場面を見続けて、辛かったと思うのです。
その辛さを大神に押しつけてしまうことと、自分が死んでも大切な人に覚えていて欲しいという感情と。
それが最後の我が儘という台詞になってるような…そんな風に思っています。
自分を素直に伝えられないマリア。
最後まで帝国歌劇団花組の副隊長として、隊長のために働くことしか考えられない彼女に報いてあげられない悔しい気持ちと、その一言で彼女の隠し続けていた人生の全てを見せられたような切ない気持ち。そして全てを捨ててまでかけてくれた信頼に感謝の気持ちでいっぱいになるのです。
他のメンバーの時には「差し違えても仇はとる!」なのですが、マリアのを見ると「絶対勝って、生きて帰る。帰ってマリア達の分まで幸せになる」に変わるんです。
と言うわけで、中原のマリアはこのマリアが標準です(^^;
辛いと仰ってくださる皆様、ごめんなさいm(__)m
危なっかしいところも一つのツボ
…まずいですか(笑)
戦闘でもろさを感じることはあんまりなかったりしますが(それは庇ってるからと言う説がないではない(^^;)、一般生活の方で、かなり危なっかしいような。
他の人のことは見えすぎるくらい見ているのに、自分のことはまるっきり考えてないんでは?と思うのもしばしば…(^^;
特に2の六話。確か君が買い物に出かけたのは、[台風の対策]で買い物に出かけたんだよね。なのに何故傘を一本しか持っていかない?(笑)
多分、綺麗さっぱり忘れてたんでしょうね(苦笑)
個人的にはおいしすぎるので、ここらへんも標準設定(笑)
この考えで行くと卑下に聞こえる「私なんて…」と言う台詞。真面目に他意がないかも知れません。その内に書こうかと画策してるんですが(^^;
中原大神は…
うーん。余り台詞はないですね(苦笑)
弱いところには、あえて踏み込まない。人によってはずるいと思うのかも知れませんが、やっぱり弱いところと言うのは、見られたくないと言う自分の気持ちもありますので、マリアに対してもそうするような気がします。
マリアって構って欲しいときには、ほんの気づかれないようにだろうけれど、何か合図があると思うのです。
自分の頼って良いと認めた人にだけしわからない、特別な合図が。
二人だけの時の「大神さん」と言う呼びかけも、少し特別なときなのだと言うマリアの合図のような気がしています。
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