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「花残月」

 中庭に出ると、目の前が白いものに遮られた。
 上を見ても薄紅色のものが降ってきて、空がよく見えない。
 少し開けた視界から前方に目を凝らすと、一人の男性が中庭で一番大きい桜を見上げている。
 白い服を身にまとって、何かその大樹に話しかけている人物。
 明日の朝になって、帝劇を去ってしまえば、多分もう二度と会えなくなるであろう思い人。

「隊長…」
 用もないのに、小さく呼びかける。邪魔になるのは解っていた。
 だけど、どうしても声が聞きたかった。空に舞う桜の花びらは自分の過去にある光景を思い出す。
 助けたくて助けられなかった、もう一人の隊長が倒れたあの雪の日を。

 一度目の声には、答えて貰えなかった。
 多分、マリアにしか聞こえなかったであろう小さな声だったから。

 もう一度、先ほどより声は大きい。
 だけど、目の前に広がる白いものに吸われてしまうように彼に届く前に消え去った。

 おそるおそる近づく距離が、手を伸ばせば届く位置まで近づいている。
 もう一度、その時に戻りたくなかった。
 それだけの思いで、腕を伸ばす。

 手が大神の腕に掛かる。そのまま愛しげにかいなに抱くと、もう一度だけ「たいちょう…」とだけ呟いた。
 今度の声は少し湿っていて、風に消されマリアにすら聞こえない。
 だが、その相手は少しとまどったように、マリアの方を向く。

「消えなくて良かった…」
 ほっとしたようにマリアが言うと、大神は周りを見渡してみて合点がいったかのように少し身体をずらす。
 それに引っ張られるように、バランスを崩してしまったマリアを抱きしめた。
「一度目の春に戻らなくても、二つ目の春に戻れなくても、こんな桜の降る日に君の前に戻ってくる」
 マリアに言い聞かせるように、ゆっくりと大神は言うのを迷っていたんだけどと前置きして、そう告げた。
 気持ちよさそうに、マリアの髪をすくっては風に流す。飽きることもなく、何度も繰り返した。
「その時に、君が幸せになってくれていれば良いんだけど」
 先ほどまで真剣な表情で言っていた言葉に足すとしては、少し気の抜けた表情で大神が残った言葉を沈黙の後に続ける。
 その表情を盗み見たマリアが安心したかのように、少し身体を外して大神の顔を真正面から見た。
 安心しきった顔は、普段では見られない大神だけに見せてくれる表情。
 その表情に目を細めると、大神は更に続ける。
「で、お願いが二つあるんだ」
「何です?」
「明日、俺はここを離れる」
「はい…」
 覚悟していた事を言われて、少しマリアの声のトーンが低くなる。
「だからさ、俺がマリアを護れない間、元気でいてくれよ」
「…」

 その返事は、マリアは返さなかった。そのかわり、少し離れていた身体を大神に預けて、服をつかんでいた腕を大神の首に回す。
「後もう一つなんだけど…」
 マリアは見ていないのに、赤くなった顔をあらぬ方向へ向けながら、言葉を続けた。
「今晩は、マリアの声を聞いていたい…」
 照れ隠しのように抱擁の手をきつくした大神に苦笑しながらも、マリアは小さく頷いた。
 そして、とりとめの無い話を口に乗せる。
 降ってくる桜に消されないよう、この時が終わらないように思いつくまま話し続けていた。


 次の朝早くに何もなかったように、大神は帝劇を後にした。
 名残惜しそうにテラスに顔を出したマリアを、まぶしそうに見上げると、大神の口元が少し動いた。
 それを注意深く見つめていたマリアが、最後まで見ずに笑いがこぼれる。
 大神は声に出さなかったが、それに対する言葉は、届かないけれども声にする。マリア自身に言い聞かすように。
「行ってらっしゃい、隊長」
 行って来るよと軽く言った彼は、満足げにそれを受けると、帝劇に背を向けて歩き出した。
 昨日のことは夢かも知れない。だけど、この言葉はマリアにとって昨晩の約束と同じ。
「次の桜に間に合わなくても、いつか来る桜の降る日まで待っていますよ、隊長」
 そう小さくなっていく大神の背中にそう約束すると、マリアもテラスを後にした。どんな関係になっていようとも、胸を張って会えるようにやることは一杯ありすぎて、時間が足りないように思えて仕方がなかった。


「マリア、わりぃな。アメリカに行って貰えねぇか?」
「アメリカ…ですか?」
 支配人室。真夜中まで掛かって書類の整理を終わって、立ち去ろうとドアを開けた途端に声を掛けられた。
「ああ、花小路さんの護衛と…やって欲しい仕事があるそうだ。期間は三ヶ月」
「三ヶ月ですか」
 意味ありげに言われた言葉は、帝国歌劇団の支配人と言うより、彼の本来の職務帝国華撃団の司令という立場を含んでいる。
 自分のことをよく知っていてくれる彼の言うことだから、今更マリアを苦しめることではないのは、マリア自身も良く理解している。
 それに、司令という立場から言われたことなら、彼女には断ることなど出来るはずもない。
 しかし、その即答が今回に限っては口から出てこない。
「桜は散ってしまいますね」
 それだけを、答えてしまった。
「あ?」

「いいえ、こちらのことです」
 支配人が理由が解らずに聞き返した台詞を、小さく笑って誤魔化そうとした。
 最近、中庭の桜が蕾を付けようとしているときから、変な夢を良く見る。
 約束通りに、満開の桜の木の下に大神が白い制服姿で立っているのだが、手を触れようとすると、真白な雪となってマリアを被う。
 何度も何度もそんな夢を見る。まるで、一年前の約束がマリアのみた夢かのように。

 夢なら夢でいい。最近は、そう思っている。
 ただ、夢でも良いから、一度だけでも声が聞きたい。
 中庭の桜が見せてくれた幻なら、あのとき満開の桜の木の下なら、それがかなえられると思っていた。
 だからこそ、あの桜が降るまでにこの帝都を離れなくてはならないことに、少し心が痛んだ。

 それが心を隠すのが得意なマリアの表情を少し曇らせてしまったのかも知れない。少し赤ら顔の支配人も変化に気が付く。
 お互いに別な事を考え込んで、そのまま動かないマリアと対照的に、手元にあった書類を難しそうな表情で睨んだかと思うと、いきなり電話をかけ始めた。
 もう夜中である。慌ててマリアが止めようと席を立つとほぼ同時に電話の相手が出たようだ。
 いつも話す声より大きな声で、支配人がまくし立てる。
 側で聞いているマリアに聞こえるように。
「ああ、出発の日だがね、予定通りに夕方で頼むよ」
 話すことだけ話すと電話を置いて、意味ありげにマリアの方を向いてにやっと笑う。

「と、いうわけで、出発は明後日の夕方。その前にちょいと野暮用を済ませて貰うぜ」
「…?」
 勢いに押されてしまって、マリアには何のことか解らない。
 そんなマリアを見るのが楽しいらしく、ついつい笑い声が漏さしのれてしまう。
「そうだ。まぁ、マリアも今日は遅いし、明日は大変だからな。もう部屋に帰って寝ることだ」
 訳も分からずに、マリアがその言葉に押されるように部屋を後にしようとドアのノブに手を掛けたのを見ると、更に嬉しそうな声が背中に掛かる。
「おめぇのまろうどにはきちんと言っておいてやるよ」
「まろうど?」
 聞き慣れない言葉の方が気になったらしく、マリアは聞き返す。
 だが支配人は意味ありげな笑いを返すだけで、何も答えようとはしない。マリアも、それならと挨拶もそこそこに部屋を後にする。

 ドアの閉まる軽い音と、慌てたような軽い足音。それが全て消えた後、耐えきれなかったように支配人が吹き出す。
 今頃は、辞書を片手にマリアが硬直している事だろう。
 目をこするために、さっきまで堅く握っていた書類を机の上に放り出す。
 大神少尉の辞令。日付は明後日を示していた。

 

- END -    

■今となっての戯言
 今も昔も変わりませんが、中原の中でひとつパロディを書くときに決めていることがあります。「サクラ大戦を知らなくても何とかなるもの(笑)」
 なので、とことん説明を行うか、このように一人の女性がただそこにいるという暈しが全体に入っている作品も多いです。
 当時「まろうど」ってなんですかーって掲示板で話題になりましたが、当時から自分は大神は外から来てあの女性たちに力を与える「稀人」の役割を持たせているようです。

■当時のコメントは以下の通り
 桜満開記念(笑)桜の木の下でふっと浮かんだものです。
 桜というのは、何故か懐かしいものが見えたりするような気がします。中原の場合は非常に落ち着きますが(笑)
 舞い散る花と降り積もる雪。肌に感じる空気は違うけれど、消え去ってしまうものというものでは同じですし。そう言うものと別れというものを重ねて書いてみました。
 この作品は、ちょっとした言葉遊びをしたのですが、なかなか個人的には楽しんでました(笑)

1999.4.6発表

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